足を使って「地域を見つめること」

壽岳文章・章子著『紙漉村旅日記』明治書房、1944年(昭和19年)(東北大学図書館中村文庫蔵)

 地域の歴史や話題を舞台化する演劇やミュージカルは、日本全国至るところでおこなわれている。もちろん、劇団の芸術作品の発表ということもあるが、そのほかにまちづくりの一環として市町村から助成を受けたり、学校が表現や郷土の歴史教育などの側面からもとりあげたりしている。私たちも多分に漏れず、仙台市太白区で「物語のあるまちづくり」を目指して区民の創作劇を続けている。

 さて、地域の歴史を戯曲化する場合には、文献に現れる事実を描くことだけでは実に味気のない、つまらない舞台になってしまう。芝居が芝居たるゆえんは、明らかにフィクションが前面で活躍しなければならない。矛盾しているようだが、フィクションがいかにリアリティを持つのかが大切なのである。畢竟、脚本家はフィクションを作り上げるために、歴史書から民族・風俗、伝説から民間療法などなど、さまざまな資料に首っききにならざるをえない。当時の新聞をマイクロフィルムを高速で流すように記憶の中に入れる。しかも紙面は一面だけでない、むしろ三面記事から広告の方を重視するのである。それでも当時の生き生きとした資料が見つかったときなどは、ワープロを何日も離れて、読み入ってしまう。日記などを見つけてしまったら、洞窟で宝物を見つけてしまうようなものである。  

 仙台市太白区にある柳生という地区は、藩政時代から盛んに紙漉がおこなわれており、明治末期には柳生地区ほぼ全戸で紙漉が営まれていたようだが、現在ではただ一戸でおこなわれているにすぎない。この紙漉き村を舞台とした創作戯曲の上演にあたって、ある方からのお話で、遅まきながら手にしたのが本書である。英文学者の壽岳文章氏が昭和12年から15年にかけて有栖川宮記念学術奨励金をうけ、夫妻で全国の紙漉の現場を訪ねた日記である。 

 紙漉きは、山間の地区でおこなわれているのが多く、調査が昭和13年から15年であれば交通の便も良いはずがない。ましてやこの日記にもあるようにガソリンの供給もままならぬ当時、東北から九州までの紙漉き村を歩き、文献調査と聞き取り調査、そして現場の貴重な記録を残している。ちなみに宮城県では丸森と柳生(当時は名取郡柳生村)を訪れている。 紙漉は農閑期の副業として、また耕地の少ない山間部の貴重な収入源として綿々としておこなわれてきたのだが、この時期、産業化の波に洗われ、先細りする産業の生き残りをかけて、地元の志のある人や役人の指導で近代化が行われ始めていた。

 和紙産業にとっては大きな転換期にさしかかっていたのである。伝統的に楮などの原料を木灰で煮、川で晒し、石や木の台で叩き、漉いた後は板貼りで天日干しにされていたのだが、原料にパルプの混入、苛性ソーダで煮、カルキで漂白し、鉄板に貼り付けられ、ヒーターで乾燥されるようになる。この「改良」によって和紙の質が全く変わってしまっていることが日記には記されている。

 本書には、戦時色の濃くなる時局に煽られ、伝統工芸に行き着かない伝統産業の侘びしさが、貧しい山間部の人々の言葉や仕草、生活の機微とともにリアルに書き記されていて、読み終えた私たちには、地域の産業を考えていく場合、「時局」にとらわれない、しっかりとした歴史の調査と、地元に足を運び、地域を見つめることの必要性を示している。それはそのまま脚本家の作業の戒めともなっている。

石垣 政裕 (経済学研究科 講師、NPO法人劇団仙台小劇場 劇作家・演出家)

専門分野:応用情報学