アウトサイダーのすすめ

城繁幸『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか:アウトサイダーの時代』(ちくま新書)、2008年

 「アウトサイダーとは昭和から平成に変わる価値観の過渡期において、一歩先に踏み出した人々のことだ。今はまだアウトサイダーでも、彼らが主流になる日は必ずやって来る」(p. 62)

 実は本書には前編がある。『若者はなぜ3年で辞めるのか?:年功序列が奪う日本の未来』(光文社新書、2006年)である。前編は日本の労働市場や企業を取り巻く環境の変化に関する「理論編」であり、本書はそのケース・スタディといったところである。著者がこの2冊で主張していることは、「昭和的価値観」はすでに崩壊し「平成的価値観」が形成され始めているということである。

 年功序列賃金・終身雇用という「レール」が強固であった時代には、ひとたびその「レール」に乗ってしまえば若いときにいくら苦労させられようとも、またいくらつまらない仕事をさせられようとも、一定の年齢になれば出世という形で必ず報われた。それゆえ、人々は何も考えずに一流大学に入学しようとし、そして何も考えずに大企業に入社しようとし、そしてひとたび入社したら「レール」にしたがって出世することを粛々と待つのみであり、その会社で何をしたいかというヴィジョンを描くことも無い。これが著者の言う「昭和的価値観」である。このような価値観が人生の大半を会社で過ごす「サラリーマン」を形成してきた。

 それに対して、「平成的価値観」とは年功序列賃金・終身雇用が崩壊した後に、主に20、30代に芽生えつつある価値観である。すなわち、若いときにさせられる苦労やつまらない仕事が将来決して報われることが無いことに気づき、会社を見限り、自らの「キャリア」を明確に意識し、「多様性」を享受する価値観のことである。ここで言う「キャリア」とは学歴と同義ではない。転職市場では学歴は全く無意味であると言う。むしろ、どのような経験をどの程度してきたか、何ができるかということだけが重要視されるのだと言う。全ての人が乗ることのできる「レール」はすでに存在しないのであるから、自ら目的地を設定し、自らそこまでの到達手段を確保しなければならない。それゆえ、年功序列賃金・終身雇用の時代とは対照的に、職歴にも年収にも「多様性」が生じる。

 未だ多くの人が「昭和的価値観」に染まっているため、「平成的価値観」を持っている人は「アウトサイダー」と見なされてしまうが、実は彼らが時代を一歩先に歩いているのだということが著者の主張である。本書では、自分で目的地を定め、自己の力でそれを手にした「アウトサイダー」の例が挙げられている。外資系生保に転職した人の話、公務員を辞めた人の話などなど…。

 評者は、著者の見解が正鵠を得ているように思う。年功序列賃金・終身雇用は大量生産・大量消費型の経済成長をしているときには合理的なシステムであったが、そのような成長が終わってしまった今日、それは非合理なシステムとなってしまった。しかし、既得権益としてその非合理性を維持しようとすれば、どこかに「無理」が生じる。現在の日本では、それが「ワーキング・プア」などの形で現れている。

 本書は職業的キャリアについてしか述べていないが、含意はそれだけに留まらない。本書の本質的メッセージは、これからの時代を生きていくためには、何となく周りに合わせるのでなく、自分の頭でしっかり考えて行動する主体性を身につけなければならないということである。東北地方は未だ「昭和的価値観」が根強い地域のように思う。学生との会話で痛感することが間々ある。学生には視野を広く持っていただきたい。本書によれば、東京の大学生の間では公務員の人気は言わずもがな、日本企業も足蹴にされ、外資系企業が人気を博していると言う。評者は「外資系ブームに乗れ」とか「仕事人間になれ」というつもりは毛頭ない。しかし、自らの主体性を発揮することなく安易に安定だけを求める姿勢は如何なものかと思う。それは「昭和的価値観」以外の何であろうか。

 前編書と本書は若者にエールを送る本である。これまで若者は40、50代を出世させるために苦労をさせられてきた。そろそろそのような身に甘んじることをやめて、「アウトサイダー」になろうではないか。そして、この閉塞感漂う日本を変えていこうではないかと。大学生諸君や現状に不満のある若い社会人に本書の一読を強くお勧めする。


黒瀬 一弘 (経済学研究科 准教授)

専門分野:経済政策
関心テーマ:マクロ経済学