反経済学的小説

Kosinski, Jerzy (1970), “Being There”
Harcourt Brace Jovanovich Inc.*

 今回、このコラムを書くために、念のため、「Being There」を読み返そうと思いましたが、長年の転勤生活者の知恵で、私は辞書以外本を持たない主義なので、さて、どうしようかと案じ、駄目もとで取り敢えず大学の図書館へ行ってみました。そうしましたら、何とハードカバーで2冊もありました。誰がこの本を東北大学図書館所蔵の書籍に認定されたのか知りませんが、一応、それもお墨付きの一つと思い、このコラムに「Being There」を選んだ自分の見識も捨てたものではないと自画自賛している次第です。

 「Being There」は、ポーランド生まれの作家ジャージー・コジンスキー(Jerzy Kosinski) が1970年に書いた短編小説で、舞台はニューヨーク、庭師を主人公にしたある種世相風刺の娯楽ものです。その娯楽性もあってか、1981年にピーター・セラーズ主演で映画化もされ、これはオスカー賞を受賞しました。

 私がこの本に出会ったのは、英語学校のクラスメイトのフランス人が「英語が易しくて、しかも話が面白く、長さも丁度良いから読んでみたら」と勧めてくれたのがきっかけでした。英語の学習に向いているのは、想像力と好奇心で辞書を引く手間も惜しんでガンガン読み進められる、例えば「Play Boy」のような類の雑誌が一押しと昔から言われています。
 しかし、まあ、真面目な私としては世間体もあり、その教えに従えなかったのですが、「Being There」は写真こそありませんが、そういう感じの場面も一部にあり(映画ではシャーリー・マクレーンが演じています)、実は、私にとって生まれて初めて140ページばかりの本ですが一気に辞書も使わず読み切った英語の本でした。
 というような事情で、このコラムにこの本を紹介する一つの理由は英語学習のための推薦図書ということになりましょうか。

 しかし、それだけではこのコラムの担当者に怒られてしまいそうなので、少し、経済にも引っかけてこの本を紹介します。
 この本を最初に読んだのは、就職した後何年か経ってアメリカの大学院へ留学していた頃なのですが、正直に告白しますと、就職して娑婆を知ってしまった後、象牙の塔で経済学理論を勉強することの無意味さに私は呻吟していました。そういう時に経済現象を四季の中で育っていく植物界に譬えている(ような)主人公Chanceの語り口調に大変惹かれました。後年、歳を経て自分自身園芸や農業ごっこに手を染めるようになると、その感は益々強くなっています。因みに、人間界の人事現象も植物界の掟で語ると実に分かりやすいものです。今、世界中の指導者(?)が取り組んでいるサブプライムローン問題をきっかけとした一連の経済問題もChance に言わせれば「放っておけば」ということになるのではないかと密かに思っています。

* 現在入手できるのは、1999年、Grove Press 出版のもの。以下参照 http://www.amazon.co.jp/gp/reader/0802136346/ref=sib_dp_ptu#reader-link


出沢 敏雄 (経済学研究科 教授)

専門分野 :中央銀行論
関心テーマ :地域経済の盛衰