コークの味は国ごとに違うべきか

パンカジ・ゲマワット著(望月衛訳)『コークの味は国ごとに違うべきか』(文藝春秋、2009年)

 トーマス・フリードマン『フラット化する世界』は非常にインパクトの強い本であったのだろう(確かに面白い良い本だった)。「フラット化」というキーワードにひっかけた(「フラット化している」、「フラット化していない」の賛否の双方から参入している)本が続々と出版されたことを書店の棚や新聞広告で知るたびに『フラット化する世界』自体のインパクトを微苦笑と共に感じてしまう。

今回取り上げるパンカジ・ゲマワット『コークの味は国ごとに違うべきか』も、そのような「フラット化」論争(?)の中の1冊と見ることもできる。そう考えると紹介としては便利かもしれないが、実際は、本書は「フラット化」論争に便乗した出版物ではない(著者や出版社の真の意図は分からないが、本書の学術的な貢献は大きいと思う)。

 『コークの味は国ごとに違うべきか』というのは確かに巧みに人目を惹くタイトルであるが、これは訳者の技巧のなせる結果であって、原著タイトルは、直訳すると例えば『グローバル戦略の再構築:差異が依然として問題となる世界で国境を越えること』である。本書のコンテンツは、著者ゲマワット教授のハーバード・ビジネス・スクールでの講義や学術論文を下敷きとしている。

 本書は国際経営戦略についての既存の研究成果をふまえた著者の実証研究の成果が示されており、それらを基礎として国際経営戦略策定の指針が示されている。しかし、本書は無味乾燥な学術書ではなく、多くの多国籍企業の事例が、成功例・失敗例ともにふんだんに盛り込まれており、刺激的な読書体験をもたらしてくれる。

 コカ・コーラの過度の集権化とそのゆり戻しとしての過度の分権化(本書では適応とよばれる)、フォードの米欧間の集権化の失敗、ABB(アセア・ブラウン・ボヴェリ)の有名な「マトリックス組織」の失敗、フィリップスの過度な適応による失敗といった諸事例が国際経営の難しさをリアルに伝えてくれる。いずれの失敗も利益や株価やシェアの低下をもたらした。もちろん、多くの成功例も示されており、そこにはIBM、P&G、トヨタ、GEメディカルズなどの先進国企業だけではなく、タタ・コンサルタンシー、ランバクシー、コグニザント、セメックスといった新興国企業も数多く含まれている。

 本書の主張を要約すると以下のようになるだろう。世界の現状は、各国のつながりが強まる傾向がある一方で、各国の違い(文化、制度、地理、経済)が依然として大きい「セミ・グローバル化」である。そのため、「世界がフラット」と考えて多国籍企業がグローバルな集約(製品の画一化とそれに伴う生産拠点の集約や本国のビジネスモデルの単純な移転)を行うとコカ・コーラやウォルマートのような多くの失敗が生まれる。したがって、各国の違いに対する対応は依然として重要である。そのような対応策には、「適応」「集約」「裁定」という3つの方法がある。

 「適応」はそれだけを行うと規模の経済が生まれないため、企業は適応のための多様化がもたらすデメリットを減じるための手段もあわせてとる必要がある(製品の規格を単純化し、多様化のコストを削減するなど)。「集約」はグローバルに行うのでなく地域的に行うことが成功につながることが多い。「裁定」とは、例えば低コスト国での生産のことを指す。優れた多国籍企業(IBM、P&G、タタ・コンサルタンシーなど)は「適応と集約」や「適応と裁定」などの3つの方法のうちの2つを組み合わせることに成功している。3つの方法をすべて追求することは、GEメディカルズのような優れた企業がさらに恵まれた条件の下に置かれた時にしか成功しない(競馬の三連単を当てるより難しい、と著者は警告している)。そして、企業の海外進出の目的はあくまでも利益の増大(価値創造と言われている)であり、売上増加自体や複雑な組織作り自体が国際化の目的ではないことが再三述べられている。

 国際経営史を専門とする評者の研究にとっては、「クロスボーダーでの業界と競争力の分析」の枠組み提示が非常に参考になった。この枠組みは、ポーターの「5つの力」分析や既存の多国籍企業論の成果(集約化への適性指標として研究開発費や広告宣伝費を用いる)を基にしている。さらに著者が、上記の分析のための実際のデータを集める「だけ」でも実際には大変な作業であると述べていることは大変興味深かった。自分がそのような作業のごく一部にしかあたらない作業についても大変苦労しているためである。

 著者はまた、戦略策定に先立って自社に関わるデータに基づいた分析を行わないことを「無謀」と言っている。これは一見当然のようであるが、多忙なビジネス現場で、すでに行ったことの記録とさらにその分析検討に時間が使われない可能性も想像することができる。そのような問題の解決のために企業と研究者が協力できる余地があれば望ましいことと思われる(本書によると、欧米多国籍企業とハーバード・ビジネス・スクール教授の間ではそのような協力があるようだ)。

 最後に。「コークの味は国ごとに違うべきか」という問いへの解答は、本書第4章の中で示されている。すでにお分かりの方も多いとは思うが、気になる方は確認していただきたい。その他に、「ハーゲンダッツはヨーロッパの会社ではない」という面白い情報も示されている。

菅原 歩 (経済学研究科 准教授)

専門分野:グローバル経営史
関心テーマ:資源多国籍企業史、国際金融史