イノベーションについての幻想を打ち破る

『イノベーションの神話』スコット・バークン著(邦訳:村上雅章)オーム社、2007年

 現在、日本では国家を挙げて「イノベーション」が喧伝されている。いや日本だけではなく、世界中で、国や企業の競争優位を決定する重要な要因としてイノベーションが注目されている。そんな中、巷にはイノベーションの成功談が氾濫している。それらを見て、我々は、「優れたイノベーションはそもそも世間の評価を受けるだけのすばらしい特徴を備えているものだ」とか、「イノベーターと呼ばれる成功者はもともと卓越した才能や特性をもっており、自分にはまったく縁がないものだ」とか、知らず知らずのうちにイノベーションに対する思い込みを作り出してはいないであろうか。本書では、我々が陥りがちなイノベーションに対する「幻想」を、イノベーションの現場に長い間身を置いてきた筆者が、幅広い知識とユーモアでしっかり覆してくれる。

 本書では、イノベーションにまつわる10の誤解を取り上げている。例えば「われわれはイノベーションの歴史を知っている」という章では、「イノベーションという活動はあたかも起こるべくして起こり、それは同時代の人々に認められるものである」というのは幻想であることを、発明から500年以上たって、ようやくその価値を評価されたヨハネス・グーテンベルグの印刷機の事例などを挙げて示している。

 またイノベーションは一瞬の「ひらめき」なのではなく、それはジグソーパズルの最後のピースのようなもので、それ以外のピースの組み合わせがある程度完成しないことには、それはただの平凡なピースに過ぎないこと。さらに我々は最後のピースが埋まった瞬間だけを見て、それをイノベーションだとし、それを行った人を「企業家」、「天才」と呼びヒーローのように賞賛するが、実際のイノベーションとは、数多くの普通の人々によって連綿と続けられてきた営為の「偶然に陽をあてられたほんの一部」にしか過ぎないこと。そして世の人々は必ずしも新しいアイデアを好むわけではなく、それゆえ多くのアイデアはイノベーションになる途中で人為的に葬り去られていること。しかしそれは逆にいうと、優れたアイデアでなくても、自分だってイノベーターになれる可能性があること。

 以上のような、筆者のいくつかの指摘にはハッとさせられる。そして、イノベーションが不可思議かつ非条理に見えるのは、イノベーションが、そもそも、人間が作りだす社会現象であるからなのだということに、本書は今更ながら気づかせてくれる。

 本書は、我々が無意識のうちにイノベーションに対して抱きがちな思い込みを再吟味する機会を与えてくれるであろう。また、本書は何か新しいものを生み出したいと日々格闘している人々にも、様々なヒントと多くの勇気を与えてくれる。さらにイノベーションに興味のない人にとっても、バークマンのウィットに富んだ文章や豊富な事例は読み物として十分に楽しめるであろう。

 最後に筆者のスコット・バークンについて簡単に紹介したい。バークンはマイクロソフト社でインターネット・エクスプローラーの開発に5年間携わった後、「本棚を一杯にするほど(その本棚にはなぜか日本語で『困』という文字が貼り付けてある)」本を書くために同社を辞めたという、ちょっと変わった経歴をもつ。彼の著作は本書で2冊目であり、本棚にはまだまだ余裕がある。本書のみならず今後の著作にも注目したい。


福嶋 路 (経済学研究科 准教授)

専門分野:地域企業論、企業戦略論、イノベーション論
関心テーマ:イノベーション、技術の商用化、産学連携、地域振興