研究者の人生とは…

丸山徹『ワルラスの肖像』(勁草書房、2008年)

 著者は「序」において「私は、その静かな学究生活に深い諦念の悲しみが漂うワルラスの姿を描いてみたいと、長い間思いつづけていたのであるが、…これはワルラスの為人(ひととなり)、思想・学説、そして彼の生きた時代の肖像をおぼろげながら描いた素描である」(p. i)と本書の目的を述べている。目次は以下の通りである。

第1章:1870年前後
第2章:経済の均衡-ワルラスが見た世界
第3章:革命期フランス数学の明暗-コンドルセからクールノーへ
第4章:欲望の価値学説-アリストテレースからガリアーニへ
第5章:効用と需要-常識から科学へ
第6章:生産と分配-書簡から読みとる人間模様
第7章:イタリアのローザンヌ学派-パレートの育む均衡理論の苗床
第8章:ウィーンの世紀末-数学・哲学そして経済学
終章

 目次を一瞥すれば分かるように、本書は実際には著者自身が「序」で述べた目的を大きく超えた内容を含んでいる。議論は純粋経済理論から、19世紀ヨーロッパ史、数学史、古代ギリシャからの哲学史へと議論は縦横無礙に行き来する。しかし、読みづらいと感ずることはない。著者の筆力の賜物である。

 周知のように、ワルラスは限界革命を引き起こした経済学説史上の巨人である。著者によると、ワルラスは父A.ワルラスとクールノーという「ふたつの思想の大河をそれぞれに下ってきたふたりの舟人に出会い、その合流点から自らもその流れに竿さす身となった」(p. 115)という。そこで、ワルラスの源流とも言える父ワルラスとクールノーの足跡を辿る旅へとわれわれは誘われる。

 ワルラスはクールノーから数学手法を経済分析に適用する手法を学んだ。そして、クールノーが生きていた時代のフランスの数学界の状況、コンドルセがヴォルテールやチュルゴーらの考えに触発され「社会数学」という新しい数学のジャンルを構想したこと、その新しいジャンルがポアッソンを経由してクールノーに継承されたことなどが鮮やかに描き出されている。

 他方で、ワルラスは父ワルラスからは価値・価格の説明原理として主観的要因=効用を重視する基本的視角を継承した。主観的価値論の歴史がアリストテレースに始まり、イタリア経済思想界で彫琢され、その後フランスに移入され、父ワルラスへと繋がる歴史的系譜が明快に描かれている。

 クールノーが経済学に初めて明示的に導入した需要関数を効用最大化から導出したところにワルラスの偉大な貢献がある。著者はワルラスが効用から需要の導出を完成させたのは1872年の秋から冬であると特定している。日本のワルラス研究者として高名な安井琢磨氏、御崎加代子氏の著作ではワルラスの中で限界革命が起こった時期は、管見の限り明言されていない。また、根岸隆氏のワルラスに関する業績の中でも明言されていない。評者は経済学史の専門家ではなく、それらに関する海外文献に精通しているわけではないので断言はできないが、ワルラスにおける限界革命が起きた時期を特定したことは本書の大きな功績であろう。

 本書を通じて著者が描いているのは、ワルラスの孤高な研究者の姿である。一般均衡論がなかなか経済学界で受け入れられなかったこと、数学を経済学に応用することに対する数学者の冷やかな目、ローザンヌ学派内での不和など、ワルラスの孤独感・挫折感が伝わってくる。このようなワルラスの生涯を当時の歴史的状況から丁寧に説明している。また、効用の可測性、積分可能性など限界革命期当時に生じ、しかも現在の教科書ではほとんどお目にかかることのない深い議論やワルラスとメンガーとの間の方法論争が紹介されている。昨今の経済学の技術的な高度化に伴い、この辺りの議論に関する経済理論家の関心が失われてしまったように思う。経済学史のみならず理論の専門家にとっても、本書は一読の価値がある。

 敢えて無いものねだりを言えば、本書はワルラスの一般均衡に関する理論的学説は余すところなく描いているが、社会思想に関する議論はやや手薄である。ワルラスの社会思想が基本的には父ワルラスのそれをそのまま継承し、サン・シモニアンの影響を強く受け、自然法的・理想主義的な傾向を有していたことは論じられているが、微に入り細に入り検討している経済理論に関する議論に比して、「応用経済学」や「社会経済学」に関する議論に割いている紙面は明らかに少ない。とはいえ、経済学史上の巨人はスケールが大きいが故に巨人なのであり、巨人を論じる際に濃淡があることは当然である。このことはあくまでもないものねだりであって、本書の貢献を損なうものではない。

黒瀬 一弘 (経済学研究科 准教授)

専門分野:経済政策
関心テーマ:マクロ経済学