税制は私たちを映しだす鏡

『税制改革の渦中にあって』石弘光(岩波書店、2008年)

 ベンジャミン・フランクリンが、” In this world nothing can be said to be certain , except death and taxes. “ と言うように、税は私たちに最も身近なものである。また、国や社会の在り方の根幹をなすものが税制である。

 二十一世紀に相応しい税制を構築していくためにどのような課題に取り組むべきなのか、私たち一人ひとりが考えていくことが求められている。そのとき、我が国経済社会の「実像」をしっかりと見据えることが何よりも重要であろう。

 この点に関し2004年の税制調査会において「10のキーファクト」を挙げ、私たちが直面する構造変化の実像を明らかにしている(基礎問題委員会報告『わが国社会の構造変化の「実像」について』同年6月)。

 すなわち、1)人口減少社会・超高齢化社会、2)右肩上がり経済の終焉、3)家族のかたちの多様化、4)日本型雇用慣行のゆらぎと働き方の多様化、5)価値観・ライフスタイルの多様化・多重化、6)社会や公共に対する意識、7)分配面での変化の兆し、8)環境負荷の増大・多様化、9)グローバル化の進展、10)深刻化する財政状況、である。

 大事な点は、過去の残像あるいは虚像ではなく、こうした実像を直視して取り組んでいくということに他ならない。

 本書は、2000年6月から2006年6月までの丸六年間、政府税制調査会の会長職にあった石弘光一橋大学名誉教授によるものである。上記の検討・報告も含め、税制改革の「渦中」に身を置かれた著者からは、これからの税の在り方を考えていくに当たって、多くの有益な示唆が与えられる。その前半部分では、これまでの論議ではあまり採り上げられなかったテーマ(増税時代へのパラダイムの転換、マスコミ報道など)につき興味深い視点が提供されている。また、後半部分では、所得税・消費税・法人税といった主要な税目の現状や問題点に触れられている。

 税は社会的インフラストラクチャ―の一つであり、経済社会構造を基礎として構築されるものであれば、私たちを映しだす「鏡」でもある。今まさに著者が言われる「将来真に必要なものを見抜く眼力」をもって、実像をきちんと踏まえ、税制改革論議を実りあるものにしていかなければならない。こうした観点から、同じ著者による『現代税制改革史-終戦からバブル崩壊まで-』(東洋経済新報社、2008年)をも併せ読まれることをお勧めする。


関岡 誠一 (経済学研究科 教授)

専門分野:法人税法
関心テーマ:税制

反経済学的小説

Kosinski, Jerzy (1970), “Being There”
Harcourt Brace Jovanovich Inc.*

 今回、このコラムを書くために、念のため、「Being There」を読み返そうと思いましたが、長年の転勤生活者の知恵で、私は辞書以外本を持たない主義なので、さて、どうしようかと案じ、駄目もとで取り敢えず大学の図書館へ行ってみました。そうしましたら、何とハードカバーで2冊もありました。誰がこの本を東北大学図書館所蔵の書籍に認定されたのか知りませんが、一応、それもお墨付きの一つと思い、このコラムに「Being There」を選んだ自分の見識も捨てたものではないと自画自賛している次第です。

 「Being There」は、ポーランド生まれの作家ジャージー・コジンスキー(Jerzy Kosinski) が1970年に書いた短編小説で、舞台はニューヨーク、庭師を主人公にしたある種世相風刺の娯楽ものです。その娯楽性もあってか、1981年にピーター・セラーズ主演で映画化もされ、これはオスカー賞を受賞しました。

 私がこの本に出会ったのは、英語学校のクラスメイトのフランス人が「英語が易しくて、しかも話が面白く、長さも丁度良いから読んでみたら」と勧めてくれたのがきっかけでした。英語の学習に向いているのは、想像力と好奇心で辞書を引く手間も惜しんでガンガン読み進められる、例えば「Play Boy」のような類の雑誌が一押しと昔から言われています。
 しかし、まあ、真面目な私としては世間体もあり、その教えに従えなかったのですが、「Being There」は写真こそありませんが、そういう感じの場面も一部にあり(映画ではシャーリー・マクレーンが演じています)、実は、私にとって生まれて初めて140ページばかりの本ですが一気に辞書も使わず読み切った英語の本でした。
 というような事情で、このコラムにこの本を紹介する一つの理由は英語学習のための推薦図書ということになりましょうか。

 しかし、それだけではこのコラムの担当者に怒られてしまいそうなので、少し、経済にも引っかけてこの本を紹介します。
 この本を最初に読んだのは、就職した後何年か経ってアメリカの大学院へ留学していた頃なのですが、正直に告白しますと、就職して娑婆を知ってしまった後、象牙の塔で経済学理論を勉強することの無意味さに私は呻吟していました。そういう時に経済現象を四季の中で育っていく植物界に譬えている(ような)主人公Chanceの語り口調に大変惹かれました。後年、歳を経て自分自身園芸や農業ごっこに手を染めるようになると、その感は益々強くなっています。因みに、人間界の人事現象も植物界の掟で語ると実に分かりやすいものです。今、世界中の指導者(?)が取り組んでいるサブプライムローン問題をきっかけとした一連の経済問題もChance に言わせれば「放っておけば」ということになるのではないかと密かに思っています。

* 現在入手できるのは、1999年、Grove Press 出版のもの。以下参照 http://www.amazon.co.jp/gp/reader/0802136346/ref=sib_dp_ptu#reader-link


出沢 敏雄 (経済学研究科 教授)

専門分野 :中央銀行論
関心テーマ :地域経済の盛衰

古典を読む

『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』カール・マルクス著/植村邦彦訳(平凡社・平凡社ライブラリー、2008年)

 経済学部で「マルクス」といったら、やはり『資本論』ということになるのだろうか? 

 でも、19世紀フランス社会経済史を専攻するぼくにとっては、マルクスといったら通称「フランス三部作」、つまり『フランスにおける階級闘争』、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』、そして『フランスにおける内乱』である。これは、あるべき社会システムをめぐって激動する19世紀フランスで勃発した二つの大事件(1848年の二月革命、1871年のパリ・コミューン)を、隣国イギリスでリアルタイムで「経験」したマルクスが著した、いわばルポルタージュである。

 1848年、フランスでは二月革命が生じ、男子普通選挙制度が導入され、社会主義者や労働者代表が臨時政府に参加するなど、さまざまな「実験」がなされた。ところが、その年12月に実施された大統領選挙で圧倒的な支持を集めて当選したのは、かのナポレオン・ボナパルトの甥ルイ・(ナポレオン・)ボナパルト(のちの皇帝ナポレオン三世)だった。そして、彼は、社会主義者の弾圧や男子普通選挙制度の事実上の放棄など、二月革命の成果を否定する方策を次々に打ち出し、さらには1851年12月のクーデタによって共和制そのものを葬りさることになる。この歴史のトレンドをサーベイし、その背景にあるメカニズムを分析したのが、「フランス三部作」のうち『階級闘争』と『ブリュメール』である。

 今回、このうち『ブリュメール』が、装いもあらたにポケット版として刊行された。

 この『ブリュメール』だが、かつて「例外国家論」なる理論を提示している書としてあがめたてまつられていた時代がある。つまり、マルクス主義国家論によれば、すべて国家は(地主、資本家、労働者など)特定の階級の利害を体現する存在である。ところが、実際には、国家は特定の階級の利害を代弁しているようにみえないことが多い。これはつまりマルクス主義国家論は間違えているということなのか、それとも……という文脈のなかで、大略「ルイ・ボナパルト支配下の国家は、さまざまな階級の利害=社会から自立し、一種例外的な超然権力としてそびえたっていた」という『ブリュメール』の所説が「例外国家論」と名づけられ、処方箋として着目され、古典として読み継がれてきたわけである。 

 しかし、ルイ・ボナパルト政権の経済政策をみれば、マルクスの所説はあたっていないことがわかる。それは一貫して工業化&近代化&経済成長を志向していたであり、そこではなによりもまず(いわば)進歩的な資本家の利害が重視されていたのである。

 それでは、今日もはや『ブリュメール』は読むに値しないか?、古典は本棚で眠っていればよいか?、といえば、そんなことはない。マルクスは、二月革命に対して、それなりの期待をかけた。そして、みずからの期待が裏切られてゆくなかで、とりわけルイ・ボナパルトに対する彼の憤りは高まってゆく。それゆえ『ブリュメール』における、ルイ・ボナパルトに対するマルクスの悪口は、天才的な冴えをみせている。なにしろ、いきなり冒頭からして、

 「ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的事実と世界史的人物はいわば二度現れる、と述べている。彼はこう付け加えるのを忘れた。一度は悲劇として、もう一度は笑劇として、と。ダントンの代わりにコシディエール、ロベスピエールの代わりにルイ・ブラン、1793~95年のモンターニュ派、伯父の代わりに甥!」(15頁、ただし訳注を参照しながら第二版の訳文となるように修正した)

である。うーむ、このきらめくような皮肉にみちあふれたレトリックを堪能するだけで1575円(税込)は惜しくない、こんな古典の読み方があってもよい……と、ぼくは思うのだが、さてどうだろうか。


小田中 直樹 (経済学研究科 教授)

専門分野:社会経済史
関心テーマ:フランス近代社会、史学史

平均年収637万円・・・をどう見るか? -統計学への入り口-

『統計学 (基礎コース)』田中勝人(新世社、1998年)

 世の中には様々なデータが溢れている。データそれ自体はただの数字だが、統計学を使うと、その数字の山を眺めているだけではなかなか分からない有用な情報を抽出できる。こう書くと抽象的で分かりにくいかもしれないが、私たちはそのような作業を日常的に行っている。例えば、平均を計算することも立派な統計学である。年収のデータは膨大な数字の山だが、そこから計算される637万円(2007年家計調査年報(総務省統計局))といったような平均年収を見ることで「みんなはこのくらいの年収がある」といった目安の情報を得ている人もいるだろう。

 では、平均とはそもそも何であって、どのような意味を持っているのか。平均年収637万円は「みんなは637万円くらいの年収がある」と解釈して良いのか(実はそう解釈できないことが多い)。このようなことは普段はあまり考えないのではないだろうか。平均なるものをただ何となく計算し、その解釈も厳密には行わないだろう。こうしたことは、私たちが統計学の断片をあまり深く考えずに使っていることを示唆する。このままでは必要な情報を上手く抽出できなかったり、抽出した情報を誤解してしまうおそれがある。企業や官庁でデータを扱う仕事をする人やデータを使ってレポートや論文を書く学生・研究者にとっては、問題はより深刻だろう。

 そこで薦めるのが本書のような統計学の入門書である。この本で扱うトピックはヒストグラムの作り方からいわゆる線形回帰分析までで、もちろん平均についての記述もある。その記述を拾い読みすれば先ほどの平均年収の解釈も適切に行えるだろう。ただ、そのような読み方では、個々の統計的なテクニックを断片的に身につけるだけになりかねない。それではマニュアル的な統計分析はできても応用力に乏しくなってしまうだろう。

 数多くある統計学入門書の中から特に本書を薦めるのは、本書がそうしたことを防ぐよう上手く書かれていると思ったからである。この本の大きな特徴は、各トピックをつなぐ流れが非常に良く、全体として統一的かつコンパクトに編集されている点である。これは、拾い読みではなく全体を通して読むことで、読者が統計学の全体像をつかめることを意味する。個々の統計手法の実際的な使い方だけではなく統計学の考え方や全体像も把握できれば、様々な問題に対応する応用力が付き、より適切な分析ができるだろう。また、本書は経済分析で使うための統計学を念頭に書かれているので、数学的な記述に偏ることはなく、読みやすいだろう。経済データを使った例も豊富だが、中には“例”としてさらっと読めないような難しい例もあるので、そこはやや注意が必要かもしれない。

 以上が本論で、以下は余談である。先日、知人の結婚式に出かける前にご祝儀の相場をネットで検索したところ、アンケート結果として“平均金額は32152円”のようなことを載せているサイトがあった。これを見て「32152円が相場だ」と誤解して152円のような小銭をもご祝儀袋に入れる人はまさかいないだろうが、平均金額を載せるのはあまり適切ではない。サイト運営者はあまり深く考えずに平均を載せたのかもしれないが、この手のサイトを見る人は「みんなはいくら包んでいるのか」を知りたがっているのだろうから、平均値より最頻値(モード)が適切だと考えられる。こうした些細なことも、上で述べた応用力の一つだと思う。

 さて、ご祝儀に152円をも誤って包むことは常識的にあり得ないが、様々な経済データと複雑な統計手法を使ったレポート・論文では思わぬ誤解が生じるかもしれない。“常識的”で片付けられない経済現象を分析することもあるのだから。また、統計分析の結果は、ご祝儀の金額を決めるといったように、意思決定に関わることもある。本書を読んで統計学をよく理解し、経済状態の誤認や意思決定の誤りなど無いようにして頂ければと思う。


千木良 弘朗 (経済学研究科 准教授)

専門分野:計量経済学
関心テーマ:パネルデータ分析、時系列分析

現場でしかわからない「福祉国家」の実態

『貧困襲来』湯浅誠(2007年、山吹書店)

 「ワーキング・プア」、「ホームレス」、「フリーター」等の言葉はよく知っている人でも、本書のタイトルには一見ぎょっとするかも知れない。だが、そうしたカタカナで軽い言葉のために見えにくくなっていたものが、まぎれもない「貧困」であることが本書を読み進めていくとわかるだろう。

  本書は、生活困窮者を支援するNPO法人・自立生活サポートセンター「もやい」の事務局長を務める筆者の、「貧困」をテーマにした現場ルポと、その政治的、社会的考察である。本書はまず、現在の貧困の特徴が、企業や家族などかつての日本の福祉の中核だったところからの排除にあること、日本で貧困を見えにくくしている原因が、政府、マスコミ、一般市民、そして自分自身による「四重の否認」にあり、その代わりに「格差」という、あいまいな表現が使われて議論が混乱していることが述べられる。さらに、「再チャレンジ」が、実際にはセーフティネットのない、単なる労働市場への放り出しであることや、最後の拠り所である生活保護の徹底的な抑制方針、社会保障における財源論の問題点など、近年の政策批判が続く。ここでいう財源論とは、社会保険方式を前提とした上で、その「持続可能性」のためには給付を抑制し、財源(保険料)を増大させるべき、との議論であるが、それは、最初から国の責任を意味する税金投入の蛇口が閉められた議論だとされる。

 本書後半では、セーフティネットからこぼれ落ちた人たちを対象にした「貧困ビジネス」の実態が筆者の体験も交えて述べられているが、ギャンブルや消費者金融だけでなく、それ以外の、敷金礼金ゼロ、あるいは保証人不要の賃貸住宅など、一見困窮者に有利に見えるサービスが、実際には彼らを収奪する「貧困ビジネスネットワーク」の一環であるという指摘は衝撃的である。

  本書での政治的な主張に対しては様々な立場からの意見が可能であろう。しかし、それ以前に認識すべきことは、現場でしか知ることのできない、これまで「福祉国家」をめざしてきたとされる日本で今起こっている貧困の実態である。研究室や机の上では決してわからない現実が本書にある。

 個人的に強い関心を持ったのは第一に、貧困が、金銭的のみならず、家族、友人などの人間関係的な、そして気持ちのゆとりである精神的な「溜め」のなさによって生じるという説明である。貧困は単なる経済的問題ではなく社会的な問題なのである。第二に、上述した、政府、マスコミ、社会による「貧困の隠蔽」という点である。金持ちや権力者だけではなく、われわれ自身が「貧困」から目をそらしてきた。本書ではこれまで行政の対象だった「新しい公共空間」が地域や市民による「共助」によって支えられる予定であることを「地域への公的責任の押し付け」と論じているが、それは同時に、地域において共に支えあう社会資源が乏しく、公的福祉の受け皿がないことも意味しているのではないだろうか。

佐々木 伯朗 (経済学研究科 准教授) 

専門分野:財政学 
関心テーマ:社会保障財政 

現代の経営・会計を考える上での最も重要なケーススタディ―市場と戯れ、報いを受けた大人たち―

『エンロン崩壊の真実』、ピーター・C. フサロ/ロス・M. ミラー著、橋本碩也訳 (税務経理協会、2002年)

 2000年度において1,110億ドルの売上高(当時全米第7位、日本円で約12兆円)を計上していた米国エンロン社 (Enron Corp) は、不正会計問題が引き金となって2001年12月に破綻した。そして、それがきっかけとなってSOX法*が制定され、米国における会計・監査体制は強化されることとなった。エンロン社の破綻は、規制緩和、政治と企業の関係、会計・監査、企業経営、エネルギー政策など様々な問題と関連づけられるものであり、これらを考える上できわめて重要な事件である。

 エンロン問題をめぐる文献はいくつか刊行されているが、本書は比較的初期に出版されたものである。主要な登場人物―CEO*のケネス・レイ、ジェフリー・スキリング、アンドリュー・ファウスト―に焦点を当てつつ、エンロン社の誕生、社内風土、議会への工作、規制緩和を受けた事業拡大、そして破綻に至る経緯を膨大な資料に基づいて詳述している。評者が特に興味を覚えたのは、子供のころスターウォーズの「カード集め」において、コレクションを完成させるためのトレーディング(交換)に熱中した世代として彼らを位置づけ、そして、そのアイデアの延長線上としてエンロンのビジネスをとらえている点である。

 エンロン社の事業を説明することはきわめて困難であるが、その主要なものは、革新的な金融および情報ネットワークの技術によって主にエネルギー関連(最終的には様々なものに手を広げていくこととなる)のトレーディング市場の構築にあった。本書では、カードのトレーディングに熱中したかつての少年少女たちが、様々な知識を身につけ、より大規模かつ競争的にそれをビジネスとしていた光景が描き出されている。

 エンロン問題に関する文献では、取引の技術的な側面、あるいは不正会計に注目されることが多いが、登場人物の行動とその背後にある思想ないし考え方についての記述が豊富であることも本書の魅力である。例えば、ケネス・レイは経済学の博士号を有し、大学の教壇に立ったこともあり、市場に対する信奉があったことが指摘されている。エンロン社のビジネスは、こうしたケネス・レイの考え方を具現するものであった。

 最後に、エンロン事件の教訓が生かされたのかという点について、評者は十分ではないと考える。エンロン事件の後も多くの不正会計問題が各国で発生している。日本で起こったライブドア事件は、エンロン事件に比べればきわめて小規模であるが、そこで用いられた不正会計の手法は、エンロン事件で用いられたものと類似していた。本書は会計・経営の専門家ではなく一般的な読者を対象としている。コーポレートガバナンス、不正会計、会計制度の改革、市場のあり方を考えるにあたって、まず手に取るべき1冊としてお勧めしたい。

* SOX法 (Sarbanes-Oxley Act) :米国の公開企業会計改革および投資家保護法の通称。法案提出者であるPaul Sarbanes上院議員とMichael G. Oxley下院議員の名前からこう呼ばれることとなった。
* CEO (chief executive officer):最高経営責任者


木村史彦 (経済学研究科 准教授)

専門分野:財務諸表分析、実証的会計
研究関心テーマ:経営者の利益操作、会計とコーポレートガバナンス

経済学の創出

『ジェームズ・ステュアート『経済学原理』草稿 ――第三編 貨幣と信用』奥山忠信・古谷豊 編著、御茶の水書房、2006年

 かなり昔のことである。1745年10月、イギリス北部にあるスコットランドの首都エジンバラ。その中心部で、ステュアートはそのとき朝食をとっていたそうである。彼はすでに、彼の人生を一変させることになる「賭け」に出る決意を固めていた。

 32歳の誕生日をちょうど迎えつつあったステュアートは天賦の才能に恵まれ、有能な法律家かつ大政治家であった祖父の生まれ変わりであると評されていた。しかしそのとき彼の将来は、のがれがたい閉塞感で覆われていた。というのも当時スコットランドでは、彼と対立する政治グループが権力中枢を握り、ロンドンの政権と結んで徐々に盤石な体制を築きつつあったのである。

 ところがステュアートにとって幸か不幸か、そのときスコットランド北部から大暴風雨がやってきた。1745年のジャコバイトの乱、通称「フォーティー・ファイブ」。18世紀イギリスでの最大の革命運動である。イギリスの前の王朝の子孫が王権を主張しスコットランドの一部の勢力を従えて9月にはエジンバラ市に乗り込み、12月にはロンドンのわずか200キロ北にまで迫るほどの勢いをみせたのだった。

 1745年10月、エジンバラ中心部。ステュアートはこの暴風雨に自らの人生の大逆転を賭け、革命勢力の側についたのである。ただ、洞察力に秀でたステュアートには、この賭けは勝つ見込みが小さいと予め分かっていたふしがある。彼にとってそれだけ閉塞感が強かったのか、あるいは自らの能力への過信があったのか。

 ともあれ革命勢力はまたとない人材を得た。声明文や宣言書は彼によって起草され、また月末にはフランスのルイ15世と交渉するためにヴェルサイユとパリに向けて発つ。革命軍がイギリス軍に敗れて、ステュアートの壮大な逆転劇が水泡に帰するのはその翌年のことであった。ステュアートは反逆罪として市民権を剥奪されてしまう。政治家として、スコットランドのため・イギリスのために力を尽くすという将来の夢はついえた。

 ステュアートはその後、自らの軽率な判断を心から反省することになる。政治家として・法律家として自らの才能を活かす道を断たれたステュアートが、別の形でスコットランドないしイギリスに寄与しようとしたのが『経済学原理』の執筆なのであった。イギリスで初めて「経済学(political economy)」を題名に冠した書であり、その九年後のスミスの『国富論』とともに経済学の近代的誕生を果たした古典である。誠に、何が幸いするかは分からない。我々がこの古典を手にできるのも、ステュアートが賭けに敗れたおかげである。

 内容はいくつかの重要な点で『国富論』とは対極にあった。いや、むしろスミスが『経済学原理』の理論に対置させつつ『国富論』を仕上げた、というのが実相である。1767年刊の『経済学原理』と1776年刊の『国富論』。経済学という科学は初めから、いわばその後の様々な学派間の論争の火種を抱えつつ、誕生したのだった。

 本書はその経済学の一方の古典である『経済学原理』の理論体系がどのようにしてできあがったのかを明らかにする研究である。私は古都・エジンバラに渡り、かつてステュアートが朝食をとっていたタウン・ハウスのすぐ近くに居を構えて連日・連夜ステュアートの自筆草稿をときほぐしていった。国事犯の身であることを忍びつつ、新しい科学「経済学」を一からつくろうと志したステュアート自身の気持ちになったつもりで。結果としてこの草稿は『経済学原理』を読み解くうえでとても重要な草稿であることが明らかとなった。草稿に散らばる大小様々なヒントをつなぎ合わせていくなかで、ステュアートが従来の貨幣論を受け継いでそこからどのように大きな展開を果たしたのかが浮き彫りにされてきた。この貨幣論の発展こそが、彼の名高い動態的な貨幣的経済理論を生むにいたったポイントだったのであり、それに伴って彼の経済学体系の構想は今日の形へと組み換えられたのであった。


古谷 豊(経済学研究科 准教授)

専門分野:経済学史
関心テーマ:重商主義・古典派

地域間格差の経済理論

『脱国境の経済学』 P. クルーグマン著、 北村行伸・高橋亘・妹尾美起 訳
1994年訳書出版 東洋経済新報社


 昨今地域間格差の議論はますます盛んになっています。東京一極集中はいっそう進み、いまや日本の人口の25%は東京都市圏に集中しています。また東京以外の地域においても、仙台のような地方中核都市は着実に成長を続けているのに対し、地方小都市や農村の疲弊はますます深刻になっています。

 なぜ経済活動はこうも地理的に不均一なのでしょうか。東京・仙台のようなある一定の地域に産業が集中し、その他の地域で経済活動が活発でないのはなぜなのでしょうか。このような大都市集中の構造は今後も安定的なのでしょうか。「新経済地理学理論」と呼ばれる経済理論はこのような問題の分析に非常に有効な理論として1990年代を通じて大きく発展しました。本書はこの新経済地理学理論の嚆矢となった非常に重要な著作です(正確にはこの本の下地となった学術論文ですが)。

 本書の中で著者は輸送費用、工場設置のための固定費用、そして地理的条件に強く縛られず、移動可能な生産活動(工業)の存在という3つの要素がこのような地理的に不均一な経済活動を説明するのに根本的に重要であることを示しました。今仮に人口や土地の広さなどがまったく等しい二つの地域があったとします。このとき2地域間の輸送費用が十分に低いなどの一定の条件下では、これら3つの要素の連関を通じて、全ての企業はどちらか一方の地域に集中して立地することとなり、両地域に均等に企業が立地するような事態は安定的には起こらないことを示しました。つまり全く等しい2つの地域であっても一定の条件の下では一方の地域のみが企業を引きつけ、いわゆる都市として発展するというのです。したがって本書が提示するモデルからは、交通機関が整備され、輸送費用がますます下がり続ける現代において、一部地域へ産業が集中する構造は安定的であることが予想されます。

 もちろん現実の経済活動は、ここで考慮された輸送費用・規模の経済のみならず、様々な要因に規定されていることはいうまでもありません。例えば、都市に企業・人が集まれば交通渋滞や家賃・地価の高騰などのいわゆる混雑が発生するので、都市に産業が集中し続けるということはできないかもしれません。また、産業の移動は人の移動も意味します。故郷への愛着や引っ越し費用など、人の移動を妨げる要因は数多くあり、誰もが都市に移動するとは限らないでしょう。本書が出版されて以来、このような様々な要因を考慮し、現実に見られる経済活動の集中や地理的不均一性をよりよく説明するべく多くの研究者が、この理論の拡張・精緻化に取り組んでいます。また、現実の経済活動のデータを使ってこの理論をテストする試みも現在活発に行われており、新経済地理学理論の研究は現在ますます発展を続けています。

 本書は専門的な知識を必要としなくても理論のエッセンスが伝わるよう、直観的に非常にわかりやすく書かれています。都市・地域の問題にご関心のある方にはぜひ一読をおすすめいたします。


中島賢太郎 (経済学研究科 准教授)

専門分野:地域経済学
関心テーマ:産業集積・人口移動・経済発展

アウトサイダーのすすめ

城繁幸『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか:アウトサイダーの時代』(ちくま新書)、2008年

 「アウトサイダーとは昭和から平成に変わる価値観の過渡期において、一歩先に踏み出した人々のことだ。今はまだアウトサイダーでも、彼らが主流になる日は必ずやって来る」(p. 62)

 実は本書には前編がある。『若者はなぜ3年で辞めるのか?:年功序列が奪う日本の未来』(光文社新書、2006年)である。前編は日本の労働市場や企業を取り巻く環境の変化に関する「理論編」であり、本書はそのケース・スタディといったところである。著者がこの2冊で主張していることは、「昭和的価値観」はすでに崩壊し「平成的価値観」が形成され始めているということである。

 年功序列賃金・終身雇用という「レール」が強固であった時代には、ひとたびその「レール」に乗ってしまえば若いときにいくら苦労させられようとも、またいくらつまらない仕事をさせられようとも、一定の年齢になれば出世という形で必ず報われた。それゆえ、人々は何も考えずに一流大学に入学しようとし、そして何も考えずに大企業に入社しようとし、そしてひとたび入社したら「レール」にしたがって出世することを粛々と待つのみであり、その会社で何をしたいかというヴィジョンを描くことも無い。これが著者の言う「昭和的価値観」である。このような価値観が人生の大半を会社で過ごす「サラリーマン」を形成してきた。

 それに対して、「平成的価値観」とは年功序列賃金・終身雇用が崩壊した後に、主に20、30代に芽生えつつある価値観である。すなわち、若いときにさせられる苦労やつまらない仕事が将来決して報われることが無いことに気づき、会社を見限り、自らの「キャリア」を明確に意識し、「多様性」を享受する価値観のことである。ここで言う「キャリア」とは学歴と同義ではない。転職市場では学歴は全く無意味であると言う。むしろ、どのような経験をどの程度してきたか、何ができるかということだけが重要視されるのだと言う。全ての人が乗ることのできる「レール」はすでに存在しないのであるから、自ら目的地を設定し、自らそこまでの到達手段を確保しなければならない。それゆえ、年功序列賃金・終身雇用の時代とは対照的に、職歴にも年収にも「多様性」が生じる。

 未だ多くの人が「昭和的価値観」に染まっているため、「平成的価値観」を持っている人は「アウトサイダー」と見なされてしまうが、実は彼らが時代を一歩先に歩いているのだということが著者の主張である。本書では、自分で目的地を定め、自己の力でそれを手にした「アウトサイダー」の例が挙げられている。外資系生保に転職した人の話、公務員を辞めた人の話などなど…。

 評者は、著者の見解が正鵠を得ているように思う。年功序列賃金・終身雇用は大量生産・大量消費型の経済成長をしているときには合理的なシステムであったが、そのような成長が終わってしまった今日、それは非合理なシステムとなってしまった。しかし、既得権益としてその非合理性を維持しようとすれば、どこかに「無理」が生じる。現在の日本では、それが「ワーキング・プア」などの形で現れている。

 本書は職業的キャリアについてしか述べていないが、含意はそれだけに留まらない。本書の本質的メッセージは、これからの時代を生きていくためには、何となく周りに合わせるのでなく、自分の頭でしっかり考えて行動する主体性を身につけなければならないということである。東北地方は未だ「昭和的価値観」が根強い地域のように思う。学生との会話で痛感することが間々ある。学生には視野を広く持っていただきたい。本書によれば、東京の大学生の間では公務員の人気は言わずもがな、日本企業も足蹴にされ、外資系企業が人気を博していると言う。評者は「外資系ブームに乗れ」とか「仕事人間になれ」というつもりは毛頭ない。しかし、自らの主体性を発揮することなく安易に安定だけを求める姿勢は如何なものかと思う。それは「昭和的価値観」以外の何であろうか。

 前編書と本書は若者にエールを送る本である。これまで若者は40、50代を出世させるために苦労をさせられてきた。そろそろそのような身に甘んじることをやめて、「アウトサイダー」になろうではないか。そして、この閉塞感漂う日本を変えていこうではないかと。大学生諸君や現状に不満のある若い社会人に本書の一読を強くお勧めする。


黒瀬 一弘 (経済学研究科 准教授)

専門分野:経済政策
関心テーマ:マクロ経済学

イノベーションについての幻想を打ち破る

『イノベーションの神話』スコット・バークン著(邦訳:村上雅章)オーム社、2007年

 現在、日本では国家を挙げて「イノベーション」が喧伝されている。いや日本だけではなく、世界中で、国や企業の競争優位を決定する重要な要因としてイノベーションが注目されている。そんな中、巷にはイノベーションの成功談が氾濫している。それらを見て、我々は、「優れたイノベーションはそもそも世間の評価を受けるだけのすばらしい特徴を備えているものだ」とか、「イノベーターと呼ばれる成功者はもともと卓越した才能や特性をもっており、自分にはまったく縁がないものだ」とか、知らず知らずのうちにイノベーションに対する思い込みを作り出してはいないであろうか。本書では、我々が陥りがちなイノベーションに対する「幻想」を、イノベーションの現場に長い間身を置いてきた筆者が、幅広い知識とユーモアでしっかり覆してくれる。

 本書では、イノベーションにまつわる10の誤解を取り上げている。例えば「われわれはイノベーションの歴史を知っている」という章では、「イノベーションという活動はあたかも起こるべくして起こり、それは同時代の人々に認められるものである」というのは幻想であることを、発明から500年以上たって、ようやくその価値を評価されたヨハネス・グーテンベルグの印刷機の事例などを挙げて示している。

 またイノベーションは一瞬の「ひらめき」なのではなく、それはジグソーパズルの最後のピースのようなもので、それ以外のピースの組み合わせがある程度完成しないことには、それはただの平凡なピースに過ぎないこと。さらに我々は最後のピースが埋まった瞬間だけを見て、それをイノベーションだとし、それを行った人を「企業家」、「天才」と呼びヒーローのように賞賛するが、実際のイノベーションとは、数多くの普通の人々によって連綿と続けられてきた営為の「偶然に陽をあてられたほんの一部」にしか過ぎないこと。そして世の人々は必ずしも新しいアイデアを好むわけではなく、それゆえ多くのアイデアはイノベーションになる途中で人為的に葬り去られていること。しかしそれは逆にいうと、優れたアイデアでなくても、自分だってイノベーターになれる可能性があること。

 以上のような、筆者のいくつかの指摘にはハッとさせられる。そして、イノベーションが不可思議かつ非条理に見えるのは、イノベーションが、そもそも、人間が作りだす社会現象であるからなのだということに、本書は今更ながら気づかせてくれる。

 本書は、我々が無意識のうちにイノベーションに対して抱きがちな思い込みを再吟味する機会を与えてくれるであろう。また、本書は何か新しいものを生み出したいと日々格闘している人々にも、様々なヒントと多くの勇気を与えてくれる。さらにイノベーションに興味のない人にとっても、バークマンのウィットに富んだ文章や豊富な事例は読み物として十分に楽しめるであろう。

 最後に筆者のスコット・バークンについて簡単に紹介したい。バークンはマイクロソフト社でインターネット・エクスプローラーの開発に5年間携わった後、「本棚を一杯にするほど(その本棚にはなぜか日本語で『困』という文字が貼り付けてある)」本を書くために同社を辞めたという、ちょっと変わった経歴をもつ。彼の著作は本書で2冊目であり、本棚にはまだまだ余裕がある。本書のみならず今後の著作にも注目したい。


福嶋 路 (経済学研究科 准教授)

専門分野:地域企業論、企業戦略論、イノベーション論
関心テーマ:イノベーション、技術の商用化、産学連携、地域振興

創刊号<2008年1月21日>  

この度、東北大学経済学研究科地域イノベーション研究センターのコラム「私の一冊」を発刊することになりました。
創刊号は、経済学研究科教授による、三本のコラムを掲載しています。
テーマは、イノベーション、環境、IT等。
ぜひともご覧頂けると幸いです。
今後とも、随時新しいコラムを掲載していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
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サービス化する先進国経済とイノベーション

『IBM:お客様の成功に全力を尽くす経営』北城恪太郎、大歳卓麻編著、ダイヤモンド社、2006年

 
 読者のみなさんは、IBMという会社をご存知でしょうか。おそらく大部分の人は、コンピュータを製造する会社と思っていることでしょう。ところが、現在のIBMはサービスを売る会社に変貌しています。2006年度の売上高でみるとサービス(480億ドル)、ハードウエア(220億ドル)、ソフトウエア(180億ドル)となっています。 

 20世紀初頭に計量秤、時計、タイプライター等を作る会社として出発したIBMは、1956年父から経営を引継いだトーマス・ワトソン・ジュニアがデジタル・コンピュータ制作に挑戦し世界市場を制覇しました。しかし、1980年代後半のコンピュータ産業における構造変化の方向を見誤ったIBMは、90年代はじめ倒産の危機に直面しました。最高経営責任者として外部から乗り込んだルイス・ガースナー(1993年-2002年)は、社員の意識改革を進めると同時に、顧客がかかえている有形無形の課題を解決するサービスの提供を商売の中核とすることで、経営危機を克服しました。そして、再び世界の優良企業に返り咲きました。IBMの経営改革はまさにイノベーション(抜本的革新)といえるものです。

 本書は、再生に成功したIBMがどのような考えに基づいてビジネスを展開しているかを述べています。それは、本書のタイトルが端的に示すように、お客様の立場にたって、お客様の成功に全力を尽くす経営にほかなりません。日本IBM会長北城恪太郎氏は、本書で「ハードウエアー・ビジネスからソリューション・ビジネスへの変革の最中にある日本IBMもイノベーションの継続という意味では、今後サービス業としてのイノベーションに果敢に取り組んでゆかねばなりません。」と力説しています。変化のスピードが速く、グローバル化した経済環境の中で私たちが生きてゆくために、本書はたいへん示唆にとんだ本です。ぜひお勧めします。あわせて、ガースナーの自伝的著書『巨象も踊る』(日本経済新聞者、2002年)もとても面白い本です。

 近年、先進国ではサービス産業の重要性がたいへん高まっています。例えば、日本ではサービス産業のGDPは国全体のGDPの70%を占めています。日本の製造業の生産性は非常に高いのですが、残念ながら、サービス産業の生産性はアメリカと比べてかなり見劣りします。日本が世界経済の中で競争に打勝つには、サービス産業生産性を向上することがぜひ必要です。経済学研究科は、文部科学省から「サービス・イノベーション人材育成プログラム」を受託し、2007年10月より「サービス・イノベーション・マネジャー人材育成プログラム」を開始しました。サービス部門において新たな生産性を創造し、サービスの質を管理できる人材を育てるのが目標です。

 経営学者ドラッカーは、「あらゆる活動にリスクがともなう。だが、昨日を守ること、すなわちイノベーションを行わないことのほうが、明日をつくることよりも大きなリスクを伴う。」と述べています。企業はイノベーションを起こし、変化し続けなければ生き残れません。このことはおそらく営利企業にかぎらず、あらゆる組織に当てはまるのではないでしょうか。


佃 良彦 (経済学研究科教授)

専門分野:統計学、計量経済学
関心テーマ:サービス・サイエンス、金融計量経済学、東アジアの経済発展

「不都合な真実」にも多大なる影響を与えた環境問題の原点


『沈黙の春』レイチェル・カーソン著,青樹梁一訳(新潮文庫,初版1974年(改版2004年))*


 「…人間がこのまま劇薬のような化学物質を無秩序・無制限に使い続けていると,生態系が乱れてしまい,やがて春がきても鳥も鳴かず,ミツバチの羽音も聞こえない,沈黙した春を迎えるようになるかもしれない…」.これは,1962年に米国の女性海洋生物学者レイチェル・カーソン(Rachel Carson (1907-1964))が著した「沈黙の春(Silent Spring)」の序章「明日のための寓話」の要約である.

 今でこそ,同書は名著の誉れ高いものの,出版当時(正確には,雑誌連載時),世論の反響の大きさから農薬化学会社や食品工業会社は,悪意を持って任意の箇所を引用し,非科学的である等の批判的宣伝により,度々,出版妨害にあった.我が国においても,1974年の有吉佐和子著「複合汚染」が出版された際には,同様な現象が起きた.近年では,国境を越えて地球温暖化問題が認識され,強い危機感が持たれているものの,地球温暖化問題が初めて指摘された頃は,多くの識者に全く見向きもされず,ジャーナリズムに至っては批判的論調を繰り返していたのである.このように,環境問題に警鐘を鳴らすという趣旨の著作物は,当初,声の大きい国・企業・人々によって,批判・中傷の矢面に立たされるという傾向があったことは否めない.

 しかし,結果,すなわち,現実はどうであろう? カーソンの著作により,米国のみならず我が国においても多数の危険化学物質の使用が禁止され,健康被害の歯止めに多大なる貢献があった.また,2007年にはアル・ゴアが「不都合な真実(An Inconvenient Truth)」によりノーベル平和賞を受賞したことは記憶に新しい.さらに,ゴアが,同書の出版40周年記念版において巻頭緒言を執筆していることから推測すると,彼はカーソンの意思・行動に共感していることには疑義がない.

 科学技術は,第二次世界大戦後に急速に発展し,人類は豊かさと便利さを得るべきであるという論理の下,「光」の側面が重要視されてきた.一方,現在では,様々な環境汚染や南北格差の拡大といった,「影」の側面を如何に是正できるのか? が重要課題となりつつある.少なくとも,我々は,自然環境を過剰消費し,様々な環境問題を発生させていることを反省しなければならない.このことは,現世代の問題のみならず,将来世代の問題でもある.当然のことながら,まだ生まれていない将来世代の人々は,現時点ではこの議論に参加することはできない.そうとは言え「将来世代の人々に,「沈黙の春」を迎えさせてもよい!」と考える人は皆無であろう.

 同書は,人類が環境と如何にして共生していくべきなのか? また,我々は,一体,何をすべきなのか? 次世代に何を伝えるべきなのか? を考えさせる原点として,是非,ご一読願いたいものである.

 最後に,環境問題に携わっている私が,原著出版年にこの世に生を受けたことに,不思議な縁を感じている.なお,これは私の勝手な思いこみであることは言うまでもない.


林山 泰久(経済学研究科教授)

専門分野:環境経済学
関心テーマ:地球環境問題,公共事業評価

*原著は,Rachel Carson(1962): Silent Spring, Houghton Mifflin. (近年では40周年記念版が出版されている)

コンピュータを身近なものにしませんか

『情報科学入門』伊東俊彦(ムイスリ出版、2007年)


 コンピュータは難しいものと思っていらっしゃいませんか。そのような方にお勧めの本があります。「情報科学入門」は、社会人が「コンピュータとはなにか」、「情報技術とはなにか」をやさしく知ることに最適です。もちろんコンピュータや情報技術の知識がない初学者が容易に読めるように平易なことばで書かれています。本書は、わたしたちが普段なにげなく色々な情報を処理している「人間の情報処理」を出発点として、そうした情報を処理するための道具としてのコンピュータについての基本的な内容を扱っています。

 「情報とはなにか」という情報そのものに関する説明や、情報を処理するシステムである「情報システム」について詳しく述べています。またコンピュータはどのように発展してきたのか、どのような部品から作られているのかなどについてもやさしく述べています。

 さらに近年、世界中をひとつのネットワークで結んだといわれている「インターネットとはなにか」についてもインターネットの始まりからの発展にふれて、いま盛んにおこなわれているインターネットを使ったネットショッピングまでやさしく説明しています。

 以下には具体的に各章の概要について示します。

1章「情報の基礎」
情報という用語はどのような意味をもつのかなどについて考えていきます。また、情報と同じような用語であるデータや知識について、その違いをみていきます。最後に、データや情報の表現のしかたについてみていきます。

2章「情報技術の基礎」
情報技術や情報技術の主要な部分をしめるコンピュータの歴史についてみていきます。さらに、コンピュータの構成要素と入出力関連技術について述べ、コンピュータの基本的な考えである論理演算やコンピュータに命令語についてもみていきます。

3章「ソフトウェアとデータベース」
コンピュータシステムに使われるソフトウェアと、問題解決の手順であるアルゴリズムをコンピュータの命令語であらわすプログラミングについてみていきます。最後にデータを一元管理するシステムであるデータベースシステムについてみていきます。

4章「ネットワークの基礎」
ネットワークの意味と種類、ネットワークの基礎的な技術についてみていき、最後にインターネットで使われている基礎的な技術や応用技術についてみていきます。

5章「ビジネスと情報技術の活用」
ビジネス分野の情報技術活用について考え、つぎにインターネット利用のビジネスである電子商取引をみていきます。さらに情報システムの安全性の概念であるセキュリティや守るべき基本的なルールである情報倫理と著作権などについてみていきます。


伊東 俊彦 (経済学研究科教授)

専門分野:情報システム
関心テーマ:企業変革と情報技術、プロジェクト・マネジメント