広告はなぜ効かないのか&アンケート調査で何がわかるのか

『サブリミナル・マインド:潜在的人間観のゆくえ』下條信輔著 中央公論新社 1996年

 ついに名だたる広告業界の名門企業も最終赤字を計上!というようなニュースが駆けめぐった昨今、多くの論調はその理由をインターネット広告の台頭に求めているようだ。たしかにこの影響は大きいが、他方ではインターネットが登場するよりはるか前から、広告が増えすぎた結果としてそもそも効かなくなってきたと言われ続けていたことも忘れてはならない。

 そのような指摘がなされるときにしばしばその理由としてあげられてきたのは、そもそも人間は自分を取り巻く大量の情報の中から興味があるものだけを無意識のうちに選択して受取り、あとは無意識に遮断しているのだという言説であった。例えば(例は少し古いが)、米国の大統領選挙では民主党支持者には民主党の候補者を褒め称える広告だけが届き、共和党側の候補者を称える広告は届かない(気づかれない)と言われてきた。その理由は、民主党支持者は無意識のうちに共和党寄りの広告を遮断しているから、というのである。実際このコラムの読者の中にも、毎日前を通っていたのに、関心がなかった間はそこにそれがあることに全然気づかなかったというような経験をした方がいるのではないだろうか(あるいはそんな間抜けな人間は私だけだろうか)。

 人間が無意識に情報を取捨選択しているという仮説は、マスコミ研究の分野では1960年頃から提起され、その主張の適否をめぐって長年議論が展開されてきた最重要論点の1つでもある。

 しかしちょっと考えてみればすぐにわかるように、これはきわめて奇異な主張なのである。なぜなら、ある人が情報の内容が自分にとって興味のあるものかどうかをチェックしたということは、その人はすでにその情報を受け取って処理しているからである。つまり「情報を受け取る前に内容をチェックする」という主張は、そもそも矛盾しているのである。

 今回ご紹介する本は、以上のような疑問に対する回答の一端を与えてくれる良書である。本書は、認知科学研究の若手ホープであり、現在カリフォルニア工科大学で精力的に研究を続けている下條信輔氏が、閾下知覚(subliminal perception: 気づくことのできる閾値以下の刺激に対して反応する現象のこと)に関する最新の研究動向をまとめた本で、新書版だが内容のレベルは非常に高く、また充実していて、しかも分かりやすく、面白い。この分野の名著と言われていることも頷ける。

 本書の主張を一言で要約すれば、人間の情報処理の大部分は潜在意識下で無自覚的・自動的に行われていて、顕在意識にのぼり明確に意識されるものは、そのうちのほんの一部に過ぎないということである。だから、消費者が関心のない製品の広告を本人も気づかないうちに無意識に遮断するということは実際にあり得るのだ。本書には、このような閾下知覚に関する興味深く不思議な実験結果が豊富に収録されている。

 例えば人間は、人間の認知能力では見えないほどの短時間だけ見せられた単語(プライム語)について、後から呈示された別の単語と形や意味が似ていたかどうかを正しく判断できる(しかし、プライム語があったかなかったかについては正答できない)。あるいは見えないほどの短時間だけ見せられたものによって、その後の行動や判断に影響を受けることがある、等々。この後者の例は、「サブリミナル効果」として従来たびたび話題になり、その真偽をめぐって議論が展開されたものだが、今日ではそのような効果が存在すること自体はほぼ受け入れられている。その最新の研究状況を本書で知ることができる。

 本書を読むと、「あなたはなぜこの商品を買ったのですか」と本人に尋ねるという、よくあるアンケート調査の方法によってわかることは、かなり限定されると考えざるを得なくなる。ましてや、インターネット・ユーザー調査と称して、「あなたはいまなぜここをクリックしたのですか」などと尋ねることに意味があるのだろうかという気になる。

 私が本書に出会ったのは1998年頃であった。当時10年間務めた会社を辞めて研究者に転職しインターネット上の消費者行動について研究しようか、などと漠然と考えていた私は、本書を読んだ結果、もし本当に研究するのなら、そのための方法論としてはアンケート調査ではなく、被験者の行動や態度を実験で直接測定する方法を用いようと決心した。その後本当に会社員を辞めて研究者の道に踏み入ってしまった私は、以来いまだに実験の方法をメインに用いている(のでお金がかかって仕方がない)。本書はそんな思い出深い本でもある。

 ちなみに著者の下條氏は2008年12月に、本書の続編ともいうべき『サブリミナル・インパクト』をちくま書房から刊行していて、こちらも学術的にも話題性の面からも大変に興味深い内容となっている。ぜひ併せて読まれることをおすすめしたい。


澁谷 覚 (経済学研究科准教授)

専門分野:マーケティング、消費者行動、クチコミ
関心テーマ:インターネット、消費者情報探索プロセス、消費者間相互作用