『統計学 (基礎コース)』田中勝人(新世社、1998年)
世の中には様々なデータが溢れている。データそれ自体はただの数字だが、統計学を使うと、その数字の山を眺めているだけではなかなか分からない有用な情報を抽出できる。こう書くと抽象的で分かりにくいかもしれないが、私たちはそのような作業を日常的に行っている。例えば、平均を計算することも立派な統計学である。年収のデータは膨大な数字の山だが、そこから計算される637万円(2007年家計調査年報(総務省統計局))といったような平均年収を見ることで「みんなはこのくらいの年収がある」といった目安の情報を得ている人もいるだろう。
では、平均とはそもそも何であって、どのような意味を持っているのか。平均年収637万円は「みんなは637万円くらいの年収がある」と解釈して良いのか(実はそう解釈できないことが多い)。このようなことは普段はあまり考えないのではないだろうか。平均なるものをただ何となく計算し、その解釈も厳密には行わないだろう。こうしたことは、私たちが統計学の断片をあまり深く考えずに使っていることを示唆する。このままでは必要な情報を上手く抽出できなかったり、抽出した情報を誤解してしまうおそれがある。企業や官庁でデータを扱う仕事をする人やデータを使ってレポートや論文を書く学生・研究者にとっては、問題はより深刻だろう。
そこで薦めるのが本書のような統計学の入門書である。この本で扱うトピックはヒストグラムの作り方からいわゆる線形回帰分析までで、もちろん平均についての記述もある。その記述を拾い読みすれば先ほどの平均年収の解釈も適切に行えるだろう。ただ、そのような読み方では、個々の統計的なテクニックを断片的に身につけるだけになりかねない。それではマニュアル的な統計分析はできても応用力に乏しくなってしまうだろう。
数多くある統計学入門書の中から特に本書を薦めるのは、本書がそうしたことを防ぐよう上手く書かれていると思ったからである。この本の大きな特徴は、各トピックをつなぐ流れが非常に良く、全体として統一的かつコンパクトに編集されている点である。これは、拾い読みではなく全体を通して読むことで、読者が統計学の全体像をつかめることを意味する。個々の統計手法の実際的な使い方だけではなく統計学の考え方や全体像も把握できれば、様々な問題に対応する応用力が付き、より適切な分析ができるだろう。また、本書は経済分析で使うための統計学を念頭に書かれているので、数学的な記述に偏ることはなく、読みやすいだろう。経済データを使った例も豊富だが、中には“例”としてさらっと読めないような難しい例もあるので、そこはやや注意が必要かもしれない。
以上が本論で、以下は余談である。先日、知人の結婚式に出かける前にご祝儀の相場をネットで検索したところ、アンケート結果として“平均金額は32152円”のようなことを載せているサイトがあった。これを見て「32152円が相場だ」と誤解して152円のような小銭をもご祝儀袋に入れる人はまさかいないだろうが、平均金額を載せるのはあまり適切ではない。サイト運営者はあまり深く考えずに平均を載せたのかもしれないが、この手のサイトを見る人は「みんなはいくら包んでいるのか」を知りたがっているのだろうから、平均値より最頻値(モード)が適切だと考えられる。こうした些細なことも、上で述べた応用力の一つだと思う。
さて、ご祝儀に152円をも誤って包むことは常識的にあり得ないが、様々な経済データと複雑な統計手法を使ったレポート・論文では思わぬ誤解が生じるかもしれない。“常識的”で片付けられない経済現象を分析することもあるのだから。また、統計分析の結果は、ご祝儀の金額を決めるといったように、意思決定に関わることもある。本書を読んで統計学をよく理解し、経済状態の誤認や意思決定の誤りなど無いようにして頂ければと思う。
千木良 弘朗 (経済学研究科 准教授)
専門分野:計量経済学
関心テーマ:パネルデータ分析、時系列分析
現場でしかわからない「福祉国家」の実態
『貧困襲来』湯浅誠(2007年、山吹書店)
「ワーキング・プア」、「ホームレス」、「フリーター」等の言葉はよく知っている人でも、本書のタイトルには一見ぎょっとするかも知れない。だが、そうしたカタカナで軽い言葉のために見えにくくなっていたものが、まぎれもない「貧困」であることが本書を読み進めていくとわかるだろう。
本書は、生活困窮者を支援するNPO法人・自立生活サポートセンター「もやい」の事務局長を務める筆者の、「貧困」をテーマにした現場ルポと、その政治的、社会的考察である。本書はまず、現在の貧困の特徴が、企業や家族などかつての日本の福祉の中核だったところからの排除にあること、日本で貧困を見えにくくしている原因が、政府、マスコミ、一般市民、そして自分自身による「四重の否認」にあり、その代わりに「格差」という、あいまいな表現が使われて議論が混乱していることが述べられる。さらに、「再チャレンジ」が、実際にはセーフティネットのない、単なる労働市場への放り出しであることや、最後の拠り所である生活保護の徹底的な抑制方針、社会保障における財源論の問題点など、近年の政策批判が続く。ここでいう財源論とは、社会保険方式を前提とした上で、その「持続可能性」のためには給付を抑制し、財源(保険料)を増大させるべき、との議論であるが、それは、最初から国の責任を意味する税金投入の蛇口が閉められた議論だとされる。
本書後半では、セーフティネットからこぼれ落ちた人たちを対象にした「貧困ビジネス」の実態が筆者の体験も交えて述べられているが、ギャンブルや消費者金融だけでなく、それ以外の、敷金礼金ゼロ、あるいは保証人不要の賃貸住宅など、一見困窮者に有利に見えるサービスが、実際には彼らを収奪する「貧困ビジネスネットワーク」の一環であるという指摘は衝撃的である。
本書での政治的な主張に対しては様々な立場からの意見が可能であろう。しかし、それ以前に認識すべきことは、現場でしか知ることのできない、これまで「福祉国家」をめざしてきたとされる日本で今起こっている貧困の実態である。研究室や机の上では決してわからない現実が本書にある。
個人的に強い関心を持ったのは第一に、貧困が、金銭的のみならず、家族、友人などの人間関係的な、そして気持ちのゆとりである精神的な「溜め」のなさによって生じるという説明である。貧困は単なる経済的問題ではなく社会的な問題なのである。第二に、上述した、政府、マスコミ、社会による「貧困の隠蔽」という点である。金持ちや権力者だけではなく、われわれ自身が「貧困」から目をそらしてきた。本書ではこれまで行政の対象だった「新しい公共空間」が地域や市民による「共助」によって支えられる予定であることを「地域への公的責任の押し付け」と論じているが、それは同時に、地域において共に支えあう社会資源が乏しく、公的福祉の受け皿がないことも意味しているのではないだろうか。
佐々木 伯朗 (経済学研究科 准教授)
専門分野:財政学
関心テーマ:社会保障財政
「ワーキング・プア」、「ホームレス」、「フリーター」等の言葉はよく知っている人でも、本書のタイトルには一見ぎょっとするかも知れない。だが、そうしたカタカナで軽い言葉のために見えにくくなっていたものが、まぎれもない「貧困」であることが本書を読み進めていくとわかるだろう。
本書は、生活困窮者を支援するNPO法人・自立生活サポートセンター「もやい」の事務局長を務める筆者の、「貧困」をテーマにした現場ルポと、その政治的、社会的考察である。本書はまず、現在の貧困の特徴が、企業や家族などかつての日本の福祉の中核だったところからの排除にあること、日本で貧困を見えにくくしている原因が、政府、マスコミ、一般市民、そして自分自身による「四重の否認」にあり、その代わりに「格差」という、あいまいな表現が使われて議論が混乱していることが述べられる。さらに、「再チャレンジ」が、実際にはセーフティネットのない、単なる労働市場への放り出しであることや、最後の拠り所である生活保護の徹底的な抑制方針、社会保障における財源論の問題点など、近年の政策批判が続く。ここでいう財源論とは、社会保険方式を前提とした上で、その「持続可能性」のためには給付を抑制し、財源(保険料)を増大させるべき、との議論であるが、それは、最初から国の責任を意味する税金投入の蛇口が閉められた議論だとされる。
本書後半では、セーフティネットからこぼれ落ちた人たちを対象にした「貧困ビジネス」の実態が筆者の体験も交えて述べられているが、ギャンブルや消費者金融だけでなく、それ以外の、敷金礼金ゼロ、あるいは保証人不要の賃貸住宅など、一見困窮者に有利に見えるサービスが、実際には彼らを収奪する「貧困ビジネスネットワーク」の一環であるという指摘は衝撃的である。
本書での政治的な主張に対しては様々な立場からの意見が可能であろう。しかし、それ以前に認識すべきことは、現場でしか知ることのできない、これまで「福祉国家」をめざしてきたとされる日本で今起こっている貧困の実態である。研究室や机の上では決してわからない現実が本書にある。
個人的に強い関心を持ったのは第一に、貧困が、金銭的のみならず、家族、友人などの人間関係的な、そして気持ちのゆとりである精神的な「溜め」のなさによって生じるという説明である。貧困は単なる経済的問題ではなく社会的な問題なのである。第二に、上述した、政府、マスコミ、社会による「貧困の隠蔽」という点である。金持ちや権力者だけではなく、われわれ自身が「貧困」から目をそらしてきた。本書ではこれまで行政の対象だった「新しい公共空間」が地域や市民による「共助」によって支えられる予定であることを「地域への公的責任の押し付け」と論じているが、それは同時に、地域において共に支えあう社会資源が乏しく、公的福祉の受け皿がないことも意味しているのではないだろうか。
佐々木 伯朗 (経済学研究科 准教授)
専門分野:財政学
関心テーマ:社会保障財政
現代の経営・会計を考える上での最も重要なケーススタディ―市場と戯れ、報いを受けた大人たち―
『エンロン崩壊の真実』、ピーター・C. フサロ/ロス・M. ミラー著、橋本碩也訳 (税務経理協会、2002年)
2000年度において1,110億ドルの売上高(当時全米第7位、日本円で約12兆円)を計上していた米国エンロン社 (Enron Corp) は、不正会計問題が引き金となって2001年12月に破綻した。そして、それがきっかけとなってSOX法*が制定され、米国における会計・監査体制は強化されることとなった。エンロン社の破綻は、規制緩和、政治と企業の関係、会計・監査、企業経営、エネルギー政策など様々な問題と関連づけられるものであり、これらを考える上できわめて重要な事件である。
エンロン問題をめぐる文献はいくつか刊行されているが、本書は比較的初期に出版されたものである。主要な登場人物―CEO*のケネス・レイ、ジェフリー・スキリング、アンドリュー・ファウスト―に焦点を当てつつ、エンロン社の誕生、社内風土、議会への工作、規制緩和を受けた事業拡大、そして破綻に至る経緯を膨大な資料に基づいて詳述している。評者が特に興味を覚えたのは、子供のころスターウォーズの「カード集め」において、コレクションを完成させるためのトレーディング(交換)に熱中した世代として彼らを位置づけ、そして、そのアイデアの延長線上としてエンロンのビジネスをとらえている点である。
エンロン社の事業を説明することはきわめて困難であるが、その主要なものは、革新的な金融および情報ネットワークの技術によって主にエネルギー関連(最終的には様々なものに手を広げていくこととなる)のトレーディング市場の構築にあった。本書では、カードのトレーディングに熱中したかつての少年少女たちが、様々な知識を身につけ、より大規模かつ競争的にそれをビジネスとしていた光景が描き出されている。
エンロン問題に関する文献では、取引の技術的な側面、あるいは不正会計に注目されることが多いが、登場人物の行動とその背後にある思想ないし考え方についての記述が豊富であることも本書の魅力である。例えば、ケネス・レイは経済学の博士号を有し、大学の教壇に立ったこともあり、市場に対する信奉があったことが指摘されている。エンロン社のビジネスは、こうしたケネス・レイの考え方を具現するものであった。
最後に、エンロン事件の教訓が生かされたのかという点について、評者は十分ではないと考える。エンロン事件の後も多くの不正会計問題が各国で発生している。日本で起こったライブドア事件は、エンロン事件に比べればきわめて小規模であるが、そこで用いられた不正会計の手法は、エンロン事件で用いられたものと類似していた。本書は会計・経営の専門家ではなく一般的な読者を対象としている。コーポレートガバナンス、不正会計、会計制度の改革、市場のあり方を考えるにあたって、まず手に取るべき1冊としてお勧めしたい。
* SOX法 (Sarbanes-Oxley Act) :米国の公開企業会計改革および投資家保護法の通称。法案提出者であるPaul Sarbanes上院議員とMichael G. Oxley下院議員の名前からこう呼ばれることとなった。
* CEO (chief executive officer):最高経営責任者
木村史彦 (経済学研究科 准教授)
専門分野:財務諸表分析、実証的会計
研究関心テーマ:経営者の利益操作、会計とコーポレートガバナンス
2000年度において1,110億ドルの売上高(当時全米第7位、日本円で約12兆円)を計上していた米国エンロン社 (Enron Corp) は、不正会計問題が引き金となって2001年12月に破綻した。そして、それがきっかけとなってSOX法*が制定され、米国における会計・監査体制は強化されることとなった。エンロン社の破綻は、規制緩和、政治と企業の関係、会計・監査、企業経営、エネルギー政策など様々な問題と関連づけられるものであり、これらを考える上できわめて重要な事件である。
エンロン問題をめぐる文献はいくつか刊行されているが、本書は比較的初期に出版されたものである。主要な登場人物―CEO*のケネス・レイ、ジェフリー・スキリング、アンドリュー・ファウスト―に焦点を当てつつ、エンロン社の誕生、社内風土、議会への工作、規制緩和を受けた事業拡大、そして破綻に至る経緯を膨大な資料に基づいて詳述している。評者が特に興味を覚えたのは、子供のころスターウォーズの「カード集め」において、コレクションを完成させるためのトレーディング(交換)に熱中した世代として彼らを位置づけ、そして、そのアイデアの延長線上としてエンロンのビジネスをとらえている点である。
エンロン社の事業を説明することはきわめて困難であるが、その主要なものは、革新的な金融および情報ネットワークの技術によって主にエネルギー関連(最終的には様々なものに手を広げていくこととなる)のトレーディング市場の構築にあった。本書では、カードのトレーディングに熱中したかつての少年少女たちが、様々な知識を身につけ、より大規模かつ競争的にそれをビジネスとしていた光景が描き出されている。
エンロン問題に関する文献では、取引の技術的な側面、あるいは不正会計に注目されることが多いが、登場人物の行動とその背後にある思想ないし考え方についての記述が豊富であることも本書の魅力である。例えば、ケネス・レイは経済学の博士号を有し、大学の教壇に立ったこともあり、市場に対する信奉があったことが指摘されている。エンロン社のビジネスは、こうしたケネス・レイの考え方を具現するものであった。
最後に、エンロン事件の教訓が生かされたのかという点について、評者は十分ではないと考える。エンロン事件の後も多くの不正会計問題が各国で発生している。日本で起こったライブドア事件は、エンロン事件に比べればきわめて小規模であるが、そこで用いられた不正会計の手法は、エンロン事件で用いられたものと類似していた。本書は会計・経営の専門家ではなく一般的な読者を対象としている。コーポレートガバナンス、不正会計、会計制度の改革、市場のあり方を考えるにあたって、まず手に取るべき1冊としてお勧めしたい。
* SOX法 (Sarbanes-Oxley Act) :米国の公開企業会計改革および投資家保護法の通称。法案提出者であるPaul Sarbanes上院議員とMichael G. Oxley下院議員の名前からこう呼ばれることとなった。
* CEO (chief executive officer):最高経営責任者
木村史彦 (経済学研究科 准教授)
専門分野:財務諸表分析、実証的会計
研究関心テーマ:経営者の利益操作、会計とコーポレートガバナンス
経済学の創出
『ジェームズ・ステュアート『経済学原理』草稿 ――第三編 貨幣と信用』奥山忠信・古谷豊 編著、御茶の水書房、2006年
かなり昔のことである。1745年10月、イギリス北部にあるスコットランドの首都エジンバラ。その中心部で、ステュアートはそのとき朝食をとっていたそうである。彼はすでに、彼の人生を一変させることになる「賭け」に出る決意を固めていた。
32歳の誕生日をちょうど迎えつつあったステュアートは天賦の才能に恵まれ、有能な法律家かつ大政治家であった祖父の生まれ変わりであると評されていた。しかしそのとき彼の将来は、のがれがたい閉塞感で覆われていた。というのも当時スコットランドでは、彼と対立する政治グループが権力中枢を握り、ロンドンの政権と結んで徐々に盤石な体制を築きつつあったのである。
ところがステュアートにとって幸か不幸か、そのときスコットランド北部から大暴風雨がやってきた。1745年のジャコバイトの乱、通称「フォーティー・ファイブ」。18世紀イギリスでの最大の革命運動である。イギリスの前の王朝の子孫が王権を主張しスコットランドの一部の勢力を従えて9月にはエジンバラ市に乗り込み、12月にはロンドンのわずか200キロ北にまで迫るほどの勢いをみせたのだった。
1745年10月、エジンバラ中心部。ステュアートはこの暴風雨に自らの人生の大逆転を賭け、革命勢力の側についたのである。ただ、洞察力に秀でたステュアートには、この賭けは勝つ見込みが小さいと予め分かっていたふしがある。彼にとってそれだけ閉塞感が強かったのか、あるいは自らの能力への過信があったのか。
ともあれ革命勢力はまたとない人材を得た。声明文や宣言書は彼によって起草され、また月末にはフランスのルイ15世と交渉するためにヴェルサイユとパリに向けて発つ。革命軍がイギリス軍に敗れて、ステュアートの壮大な逆転劇が水泡に帰するのはその翌年のことであった。ステュアートは反逆罪として市民権を剥奪されてしまう。政治家として、スコットランドのため・イギリスのために力を尽くすという将来の夢はついえた。
ステュアートはその後、自らの軽率な判断を心から反省することになる。政治家として・法律家として自らの才能を活かす道を断たれたステュアートが、別の形でスコットランドないしイギリスに寄与しようとしたのが『経済学原理』の執筆なのであった。イギリスで初めて「経済学(political economy)」を題名に冠した書であり、その九年後のスミスの『国富論』とともに経済学の近代的誕生を果たした古典である。誠に、何が幸いするかは分からない。我々がこの古典を手にできるのも、ステュアートが賭けに敗れたおかげである。
内容はいくつかの重要な点で『国富論』とは対極にあった。いや、むしろスミスが『経済学原理』の理論に対置させつつ『国富論』を仕上げた、というのが実相である。1767年刊の『経済学原理』と1776年刊の『国富論』。経済学という科学は初めから、いわばその後の様々な学派間の論争の火種を抱えつつ、誕生したのだった。
本書はその経済学の一方の古典である『経済学原理』の理論体系がどのようにしてできあがったのかを明らかにする研究である。私は古都・エジンバラに渡り、かつてステュアートが朝食をとっていたタウン・ハウスのすぐ近くに居を構えて連日・連夜ステュアートの自筆草稿をときほぐしていった。国事犯の身であることを忍びつつ、新しい科学「経済学」を一からつくろうと志したステュアート自身の気持ちになったつもりで。結果としてこの草稿は『経済学原理』を読み解くうえでとても重要な草稿であることが明らかとなった。草稿に散らばる大小様々なヒントをつなぎ合わせていくなかで、ステュアートが従来の貨幣論を受け継いでそこからどのように大きな展開を果たしたのかが浮き彫りにされてきた。この貨幣論の発展こそが、彼の名高い動態的な貨幣的経済理論を生むにいたったポイントだったのであり、それに伴って彼の経済学体系の構想は今日の形へと組み換えられたのであった。
古谷 豊(経済学研究科 准教授)
専門分野:経済学史
関心テーマ:重商主義・古典派
かなり昔のことである。1745年10月、イギリス北部にあるスコットランドの首都エジンバラ。その中心部で、ステュアートはそのとき朝食をとっていたそうである。彼はすでに、彼の人生を一変させることになる「賭け」に出る決意を固めていた。
32歳の誕生日をちょうど迎えつつあったステュアートは天賦の才能に恵まれ、有能な法律家かつ大政治家であった祖父の生まれ変わりであると評されていた。しかしそのとき彼の将来は、のがれがたい閉塞感で覆われていた。というのも当時スコットランドでは、彼と対立する政治グループが権力中枢を握り、ロンドンの政権と結んで徐々に盤石な体制を築きつつあったのである。
ところがステュアートにとって幸か不幸か、そのときスコットランド北部から大暴風雨がやってきた。1745年のジャコバイトの乱、通称「フォーティー・ファイブ」。18世紀イギリスでの最大の革命運動である。イギリスの前の王朝の子孫が王権を主張しスコットランドの一部の勢力を従えて9月にはエジンバラ市に乗り込み、12月にはロンドンのわずか200キロ北にまで迫るほどの勢いをみせたのだった。
1745年10月、エジンバラ中心部。ステュアートはこの暴風雨に自らの人生の大逆転を賭け、革命勢力の側についたのである。ただ、洞察力に秀でたステュアートには、この賭けは勝つ見込みが小さいと予め分かっていたふしがある。彼にとってそれだけ閉塞感が強かったのか、あるいは自らの能力への過信があったのか。
ともあれ革命勢力はまたとない人材を得た。声明文や宣言書は彼によって起草され、また月末にはフランスのルイ15世と交渉するためにヴェルサイユとパリに向けて発つ。革命軍がイギリス軍に敗れて、ステュアートの壮大な逆転劇が水泡に帰するのはその翌年のことであった。ステュアートは反逆罪として市民権を剥奪されてしまう。政治家として、スコットランドのため・イギリスのために力を尽くすという将来の夢はついえた。
ステュアートはその後、自らの軽率な判断を心から反省することになる。政治家として・法律家として自らの才能を活かす道を断たれたステュアートが、別の形でスコットランドないしイギリスに寄与しようとしたのが『経済学原理』の執筆なのであった。イギリスで初めて「経済学(political economy)」を題名に冠した書であり、その九年後のスミスの『国富論』とともに経済学の近代的誕生を果たした古典である。誠に、何が幸いするかは分からない。我々がこの古典を手にできるのも、ステュアートが賭けに敗れたおかげである。
内容はいくつかの重要な点で『国富論』とは対極にあった。いや、むしろスミスが『経済学原理』の理論に対置させつつ『国富論』を仕上げた、というのが実相である。1767年刊の『経済学原理』と1776年刊の『国富論』。経済学という科学は初めから、いわばその後の様々な学派間の論争の火種を抱えつつ、誕生したのだった。
本書はその経済学の一方の古典である『経済学原理』の理論体系がどのようにしてできあがったのかを明らかにする研究である。私は古都・エジンバラに渡り、かつてステュアートが朝食をとっていたタウン・ハウスのすぐ近くに居を構えて連日・連夜ステュアートの自筆草稿をときほぐしていった。国事犯の身であることを忍びつつ、新しい科学「経済学」を一からつくろうと志したステュアート自身の気持ちになったつもりで。結果としてこの草稿は『経済学原理』を読み解くうえでとても重要な草稿であることが明らかとなった。草稿に散らばる大小様々なヒントをつなぎ合わせていくなかで、ステュアートが従来の貨幣論を受け継いでそこからどのように大きな展開を果たしたのかが浮き彫りにされてきた。この貨幣論の発展こそが、彼の名高い動態的な貨幣的経済理論を生むにいたったポイントだったのであり、それに伴って彼の経済学体系の構想は今日の形へと組み換えられたのであった。
古谷 豊(経済学研究科 准教授)
専門分野:経済学史
関心テーマ:重商主義・古典派
地域間格差の経済理論
『脱国境の経済学』 P. クルーグマン著、 北村行伸・高橋亘・妹尾美起 訳
1994年訳書出版 東洋経済新報社
昨今地域間格差の議論はますます盛んになっています。東京一極集中はいっそう進み、いまや日本の人口の25%は東京都市圏に集中しています。また東京以外の地域においても、仙台のような地方中核都市は着実に成長を続けているのに対し、地方小都市や農村の疲弊はますます深刻になっています。
なぜ経済活動はこうも地理的に不均一なのでしょうか。東京・仙台のようなある一定の地域に産業が集中し、その他の地域で経済活動が活発でないのはなぜなのでしょうか。このような大都市集中の構造は今後も安定的なのでしょうか。「新経済地理学理論」と呼ばれる経済理論はこのような問題の分析に非常に有効な理論として1990年代を通じて大きく発展しました。本書はこの新経済地理学理論の嚆矢となった非常に重要な著作です(正確にはこの本の下地となった学術論文ですが)。
本書の中で著者は輸送費用、工場設置のための固定費用、そして地理的条件に強く縛られず、移動可能な生産活動(工業)の存在という3つの要素がこのような地理的に不均一な経済活動を説明するのに根本的に重要であることを示しました。今仮に人口や土地の広さなどがまったく等しい二つの地域があったとします。このとき2地域間の輸送費用が十分に低いなどの一定の条件下では、これら3つの要素の連関を通じて、全ての企業はどちらか一方の地域に集中して立地することとなり、両地域に均等に企業が立地するような事態は安定的には起こらないことを示しました。つまり全く等しい2つの地域であっても一定の条件の下では一方の地域のみが企業を引きつけ、いわゆる都市として発展するというのです。したがって本書が提示するモデルからは、交通機関が整備され、輸送費用がますます下がり続ける現代において、一部地域へ産業が集中する構造は安定的であることが予想されます。
もちろん現実の経済活動は、ここで考慮された輸送費用・規模の経済のみならず、様々な要因に規定されていることはいうまでもありません。例えば、都市に企業・人が集まれば交通渋滞や家賃・地価の高騰などのいわゆる混雑が発生するので、都市に産業が集中し続けるということはできないかもしれません。また、産業の移動は人の移動も意味します。故郷への愛着や引っ越し費用など、人の移動を妨げる要因は数多くあり、誰もが都市に移動するとは限らないでしょう。本書が出版されて以来、このような様々な要因を考慮し、現実に見られる経済活動の集中や地理的不均一性をよりよく説明するべく多くの研究者が、この理論の拡張・精緻化に取り組んでいます。また、現実の経済活動のデータを使ってこの理論をテストする試みも現在活発に行われており、新経済地理学理論の研究は現在ますます発展を続けています。
本書は専門的な知識を必要としなくても理論のエッセンスが伝わるよう、直観的に非常にわかりやすく書かれています。都市・地域の問題にご関心のある方にはぜひ一読をおすすめいたします。
中島賢太郎 (経済学研究科 准教授)
専門分野:地域経済学
関心テーマ:産業集積・人口移動・経済発展
1994年訳書出版 東洋経済新報社
昨今地域間格差の議論はますます盛んになっています。東京一極集中はいっそう進み、いまや日本の人口の25%は東京都市圏に集中しています。また東京以外の地域においても、仙台のような地方中核都市は着実に成長を続けているのに対し、地方小都市や農村の疲弊はますます深刻になっています。
なぜ経済活動はこうも地理的に不均一なのでしょうか。東京・仙台のようなある一定の地域に産業が集中し、その他の地域で経済活動が活発でないのはなぜなのでしょうか。このような大都市集中の構造は今後も安定的なのでしょうか。「新経済地理学理論」と呼ばれる経済理論はこのような問題の分析に非常に有効な理論として1990年代を通じて大きく発展しました。本書はこの新経済地理学理論の嚆矢となった非常に重要な著作です(正確にはこの本の下地となった学術論文ですが)。
本書の中で著者は輸送費用、工場設置のための固定費用、そして地理的条件に強く縛られず、移動可能な生産活動(工業)の存在という3つの要素がこのような地理的に不均一な経済活動を説明するのに根本的に重要であることを示しました。今仮に人口や土地の広さなどがまったく等しい二つの地域があったとします。このとき2地域間の輸送費用が十分に低いなどの一定の条件下では、これら3つの要素の連関を通じて、全ての企業はどちらか一方の地域に集中して立地することとなり、両地域に均等に企業が立地するような事態は安定的には起こらないことを示しました。つまり全く等しい2つの地域であっても一定の条件の下では一方の地域のみが企業を引きつけ、いわゆる都市として発展するというのです。したがって本書が提示するモデルからは、交通機関が整備され、輸送費用がますます下がり続ける現代において、一部地域へ産業が集中する構造は安定的であることが予想されます。
もちろん現実の経済活動は、ここで考慮された輸送費用・規模の経済のみならず、様々な要因に規定されていることはいうまでもありません。例えば、都市に企業・人が集まれば交通渋滞や家賃・地価の高騰などのいわゆる混雑が発生するので、都市に産業が集中し続けるということはできないかもしれません。また、産業の移動は人の移動も意味します。故郷への愛着や引っ越し費用など、人の移動を妨げる要因は数多くあり、誰もが都市に移動するとは限らないでしょう。本書が出版されて以来、このような様々な要因を考慮し、現実に見られる経済活動の集中や地理的不均一性をよりよく説明するべく多くの研究者が、この理論の拡張・精緻化に取り組んでいます。また、現実の経済活動のデータを使ってこの理論をテストする試みも現在活発に行われており、新経済地理学理論の研究は現在ますます発展を続けています。
本書は専門的な知識を必要としなくても理論のエッセンスが伝わるよう、直観的に非常にわかりやすく書かれています。都市・地域の問題にご関心のある方にはぜひ一読をおすすめいたします。
中島賢太郎 (経済学研究科 准教授)
専門分野:地域経済学
関心テーマ:産業集積・人口移動・経済発展
アウトサイダーのすすめ
城繁幸『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか:アウトサイダーの時代』(ちくま新書)、2008年
「アウトサイダーとは昭和から平成に変わる価値観の過渡期において、一歩先に踏み出した人々のことだ。今はまだアウトサイダーでも、彼らが主流になる日は必ずやって来る」(p. 62)
実は本書には前編がある。『若者はなぜ3年で辞めるのか?:年功序列が奪う日本の未来』(光文社新書、2006年)である。前編は日本の労働市場や企業を取り巻く環境の変化に関する「理論編」であり、本書はそのケース・スタディといったところである。著者がこの2冊で主張していることは、「昭和的価値観」はすでに崩壊し「平成的価値観」が形成され始めているということである。
年功序列賃金・終身雇用という「レール」が強固であった時代には、ひとたびその「レール」に乗ってしまえば若いときにいくら苦労させられようとも、またいくらつまらない仕事をさせられようとも、一定の年齢になれば出世という形で必ず報われた。それゆえ、人々は何も考えずに一流大学に入学しようとし、そして何も考えずに大企業に入社しようとし、そしてひとたび入社したら「レール」にしたがって出世することを粛々と待つのみであり、その会社で何をしたいかというヴィジョンを描くことも無い。これが著者の言う「昭和的価値観」である。このような価値観が人生の大半を会社で過ごす「サラリーマン」を形成してきた。
それに対して、「平成的価値観」とは年功序列賃金・終身雇用が崩壊した後に、主に20、30代に芽生えつつある価値観である。すなわち、若いときにさせられる苦労やつまらない仕事が将来決して報われることが無いことに気づき、会社を見限り、自らの「キャリア」を明確に意識し、「多様性」を享受する価値観のことである。ここで言う「キャリア」とは学歴と同義ではない。転職市場では学歴は全く無意味であると言う。むしろ、どのような経験をどの程度してきたか、何ができるかということだけが重要視されるのだと言う。全ての人が乗ることのできる「レール」はすでに存在しないのであるから、自ら目的地を設定し、自らそこまでの到達手段を確保しなければならない。それゆえ、年功序列賃金・終身雇用の時代とは対照的に、職歴にも年収にも「多様性」が生じる。
未だ多くの人が「昭和的価値観」に染まっているため、「平成的価値観」を持っている人は「アウトサイダー」と見なされてしまうが、実は彼らが時代を一歩先に歩いているのだということが著者の主張である。本書では、自分で目的地を定め、自己の力でそれを手にした「アウトサイダー」の例が挙げられている。外資系生保に転職した人の話、公務員を辞めた人の話などなど…。
評者は、著者の見解が正鵠を得ているように思う。年功序列賃金・終身雇用は大量生産・大量消費型の経済成長をしているときには合理的なシステムであったが、そのような成長が終わってしまった今日、それは非合理なシステムとなってしまった。しかし、既得権益としてその非合理性を維持しようとすれば、どこかに「無理」が生じる。現在の日本では、それが「ワーキング・プア」などの形で現れている。
本書は職業的キャリアについてしか述べていないが、含意はそれだけに留まらない。本書の本質的メッセージは、これからの時代を生きていくためには、何となく周りに合わせるのでなく、自分の頭でしっかり考えて行動する主体性を身につけなければならないということである。東北地方は未だ「昭和的価値観」が根強い地域のように思う。学生との会話で痛感することが間々ある。学生には視野を広く持っていただきたい。本書によれば、東京の大学生の間では公務員の人気は言わずもがな、日本企業も足蹴にされ、外資系企業が人気を博していると言う。評者は「外資系ブームに乗れ」とか「仕事人間になれ」というつもりは毛頭ない。しかし、自らの主体性を発揮することなく安易に安定だけを求める姿勢は如何なものかと思う。それは「昭和的価値観」以外の何であろうか。
前編書と本書は若者にエールを送る本である。これまで若者は40、50代を出世させるために苦労をさせられてきた。そろそろそのような身に甘んじることをやめて、「アウトサイダー」になろうではないか。そして、この閉塞感漂う日本を変えていこうではないかと。大学生諸君や現状に不満のある若い社会人に本書の一読を強くお勧めする。
黒瀬 一弘 (経済学研究科 准教授)
専門分野:経済政策
関心テーマ:マクロ経済学
「アウトサイダーとは昭和から平成に変わる価値観の過渡期において、一歩先に踏み出した人々のことだ。今はまだアウトサイダーでも、彼らが主流になる日は必ずやって来る」(p. 62)
実は本書には前編がある。『若者はなぜ3年で辞めるのか?:年功序列が奪う日本の未来』(光文社新書、2006年)である。前編は日本の労働市場や企業を取り巻く環境の変化に関する「理論編」であり、本書はそのケース・スタディといったところである。著者がこの2冊で主張していることは、「昭和的価値観」はすでに崩壊し「平成的価値観」が形成され始めているということである。
年功序列賃金・終身雇用という「レール」が強固であった時代には、ひとたびその「レール」に乗ってしまえば若いときにいくら苦労させられようとも、またいくらつまらない仕事をさせられようとも、一定の年齢になれば出世という形で必ず報われた。それゆえ、人々は何も考えずに一流大学に入学しようとし、そして何も考えずに大企業に入社しようとし、そしてひとたび入社したら「レール」にしたがって出世することを粛々と待つのみであり、その会社で何をしたいかというヴィジョンを描くことも無い。これが著者の言う「昭和的価値観」である。このような価値観が人生の大半を会社で過ごす「サラリーマン」を形成してきた。
それに対して、「平成的価値観」とは年功序列賃金・終身雇用が崩壊した後に、主に20、30代に芽生えつつある価値観である。すなわち、若いときにさせられる苦労やつまらない仕事が将来決して報われることが無いことに気づき、会社を見限り、自らの「キャリア」を明確に意識し、「多様性」を享受する価値観のことである。ここで言う「キャリア」とは学歴と同義ではない。転職市場では学歴は全く無意味であると言う。むしろ、どのような経験をどの程度してきたか、何ができるかということだけが重要視されるのだと言う。全ての人が乗ることのできる「レール」はすでに存在しないのであるから、自ら目的地を設定し、自らそこまでの到達手段を確保しなければならない。それゆえ、年功序列賃金・終身雇用の時代とは対照的に、職歴にも年収にも「多様性」が生じる。
未だ多くの人が「昭和的価値観」に染まっているため、「平成的価値観」を持っている人は「アウトサイダー」と見なされてしまうが、実は彼らが時代を一歩先に歩いているのだということが著者の主張である。本書では、自分で目的地を定め、自己の力でそれを手にした「アウトサイダー」の例が挙げられている。外資系生保に転職した人の話、公務員を辞めた人の話などなど…。
評者は、著者の見解が正鵠を得ているように思う。年功序列賃金・終身雇用は大量生産・大量消費型の経済成長をしているときには合理的なシステムであったが、そのような成長が終わってしまった今日、それは非合理なシステムとなってしまった。しかし、既得権益としてその非合理性を維持しようとすれば、どこかに「無理」が生じる。現在の日本では、それが「ワーキング・プア」などの形で現れている。
本書は職業的キャリアについてしか述べていないが、含意はそれだけに留まらない。本書の本質的メッセージは、これからの時代を生きていくためには、何となく周りに合わせるのでなく、自分の頭でしっかり考えて行動する主体性を身につけなければならないということである。東北地方は未だ「昭和的価値観」が根強い地域のように思う。学生との会話で痛感することが間々ある。学生には視野を広く持っていただきたい。本書によれば、東京の大学生の間では公務員の人気は言わずもがな、日本企業も足蹴にされ、外資系企業が人気を博していると言う。評者は「外資系ブームに乗れ」とか「仕事人間になれ」というつもりは毛頭ない。しかし、自らの主体性を発揮することなく安易に安定だけを求める姿勢は如何なものかと思う。それは「昭和的価値観」以外の何であろうか。
前編書と本書は若者にエールを送る本である。これまで若者は40、50代を出世させるために苦労をさせられてきた。そろそろそのような身に甘んじることをやめて、「アウトサイダー」になろうではないか。そして、この閉塞感漂う日本を変えていこうではないかと。大学生諸君や現状に不満のある若い社会人に本書の一読を強くお勧めする。
黒瀬 一弘 (経済学研究科 准教授)
専門分野:経済政策
関心テーマ:マクロ経済学
イノベーションについての幻想を打ち破る
『イノベーションの神話』スコット・バークン著(邦訳:村上雅章)オーム社、2007年
現在、日本では国家を挙げて「イノベーション」が喧伝されている。いや日本だけではなく、世界中で、国や企業の競争優位を決定する重要な要因としてイノベーションが注目されている。そんな中、巷にはイノベーションの成功談が氾濫している。それらを見て、我々は、「優れたイノベーションはそもそも世間の評価を受けるだけのすばらしい特徴を備えているものだ」とか、「イノベーターと呼ばれる成功者はもともと卓越した才能や特性をもっており、自分にはまったく縁がないものだ」とか、知らず知らずのうちにイノベーションに対する思い込みを作り出してはいないであろうか。本書では、我々が陥りがちなイノベーションに対する「幻想」を、イノベーションの現場に長い間身を置いてきた筆者が、幅広い知識とユーモアでしっかり覆してくれる。
本書では、イノベーションにまつわる10の誤解を取り上げている。例えば「われわれはイノベーションの歴史を知っている」という章では、「イノベーションという活動はあたかも起こるべくして起こり、それは同時代の人々に認められるものである」というのは幻想であることを、発明から500年以上たって、ようやくその価値を評価されたヨハネス・グーテンベルグの印刷機の事例などを挙げて示している。
またイノベーションは一瞬の「ひらめき」なのではなく、それはジグソーパズルの最後のピースのようなもので、それ以外のピースの組み合わせがある程度完成しないことには、それはただの平凡なピースに過ぎないこと。さらに我々は最後のピースが埋まった瞬間だけを見て、それをイノベーションだとし、それを行った人を「企業家」、「天才」と呼びヒーローのように賞賛するが、実際のイノベーションとは、数多くの普通の人々によって連綿と続けられてきた営為の「偶然に陽をあてられたほんの一部」にしか過ぎないこと。そして世の人々は必ずしも新しいアイデアを好むわけではなく、それゆえ多くのアイデアはイノベーションになる途中で人為的に葬り去られていること。しかしそれは逆にいうと、優れたアイデアでなくても、自分だってイノベーターになれる可能性があること。
以上のような、筆者のいくつかの指摘にはハッとさせられる。そして、イノベーションが不可思議かつ非条理に見えるのは、イノベーションが、そもそも、人間が作りだす社会現象であるからなのだということに、本書は今更ながら気づかせてくれる。
本書は、我々が無意識のうちにイノベーションに対して抱きがちな思い込みを再吟味する機会を与えてくれるであろう。また、本書は何か新しいものを生み出したいと日々格闘している人々にも、様々なヒントと多くの勇気を与えてくれる。さらにイノベーションに興味のない人にとっても、バークマンのウィットに富んだ文章や豊富な事例は読み物として十分に楽しめるであろう。
最後に筆者のスコット・バークンについて簡単に紹介したい。バークンはマイクロソフト社でインターネット・エクスプローラーの開発に5年間携わった後、「本棚を一杯にするほど(その本棚にはなぜか日本語で『困』という文字が貼り付けてある)」本を書くために同社を辞めたという、ちょっと変わった経歴をもつ。彼の著作は本書で2冊目であり、本棚にはまだまだ余裕がある。本書のみならず今後の著作にも注目したい。
福嶋 路 (経済学研究科 准教授)
専門分野:地域企業論、企業戦略論、イノベーション論
関心テーマ:イノベーション、技術の商用化、産学連携、地域振興
現在、日本では国家を挙げて「イノベーション」が喧伝されている。いや日本だけではなく、世界中で、国や企業の競争優位を決定する重要な要因としてイノベーションが注目されている。そんな中、巷にはイノベーションの成功談が氾濫している。それらを見て、我々は、「優れたイノベーションはそもそも世間の評価を受けるだけのすばらしい特徴を備えているものだ」とか、「イノベーターと呼ばれる成功者はもともと卓越した才能や特性をもっており、自分にはまったく縁がないものだ」とか、知らず知らずのうちにイノベーションに対する思い込みを作り出してはいないであろうか。本書では、我々が陥りがちなイノベーションに対する「幻想」を、イノベーションの現場に長い間身を置いてきた筆者が、幅広い知識とユーモアでしっかり覆してくれる。
本書では、イノベーションにまつわる10の誤解を取り上げている。例えば「われわれはイノベーションの歴史を知っている」という章では、「イノベーションという活動はあたかも起こるべくして起こり、それは同時代の人々に認められるものである」というのは幻想であることを、発明から500年以上たって、ようやくその価値を評価されたヨハネス・グーテンベルグの印刷機の事例などを挙げて示している。
またイノベーションは一瞬の「ひらめき」なのではなく、それはジグソーパズルの最後のピースのようなもので、それ以外のピースの組み合わせがある程度完成しないことには、それはただの平凡なピースに過ぎないこと。さらに我々は最後のピースが埋まった瞬間だけを見て、それをイノベーションだとし、それを行った人を「企業家」、「天才」と呼びヒーローのように賞賛するが、実際のイノベーションとは、数多くの普通の人々によって連綿と続けられてきた営為の「偶然に陽をあてられたほんの一部」にしか過ぎないこと。そして世の人々は必ずしも新しいアイデアを好むわけではなく、それゆえ多くのアイデアはイノベーションになる途中で人為的に葬り去られていること。しかしそれは逆にいうと、優れたアイデアでなくても、自分だってイノベーターになれる可能性があること。
以上のような、筆者のいくつかの指摘にはハッとさせられる。そして、イノベーションが不可思議かつ非条理に見えるのは、イノベーションが、そもそも、人間が作りだす社会現象であるからなのだということに、本書は今更ながら気づかせてくれる。
本書は、我々が無意識のうちにイノベーションに対して抱きがちな思い込みを再吟味する機会を与えてくれるであろう。また、本書は何か新しいものを生み出したいと日々格闘している人々にも、様々なヒントと多くの勇気を与えてくれる。さらにイノベーションに興味のない人にとっても、バークマンのウィットに富んだ文章や豊富な事例は読み物として十分に楽しめるであろう。
最後に筆者のスコット・バークンについて簡単に紹介したい。バークンはマイクロソフト社でインターネット・エクスプローラーの開発に5年間携わった後、「本棚を一杯にするほど(その本棚にはなぜか日本語で『困』という文字が貼り付けてある)」本を書くために同社を辞めたという、ちょっと変わった経歴をもつ。彼の著作は本書で2冊目であり、本棚にはまだまだ余裕がある。本書のみならず今後の著作にも注目したい。
福嶋 路 (経済学研究科 准教授)
専門分野:地域企業論、企業戦略論、イノベーション論
関心テーマ:イノベーション、技術の商用化、産学連携、地域振興
登録:
投稿 (Atom)